世界屠畜紀行

今夜のTBS系『情熱大陸』は、『世界屠畜紀行』の著者ウチザワ女史を追っていた。リアルのご本人を目にするのは初めてだが、彼女のはてダ日記は読んでいた。なんといえばいいのか、日記=女史の視線を通して見てきた風景がぐるりと反転して、外側から細身の女史が動いているところを眺めているのが不思議だった。

食べるために生き物を殺すのは、肉の調達の第一段階、料理の始原として、どうしても必要なことだ。

殺してよい動物と殺すべきではない動物、その大まかな区分を学んだのは小学校で読んだ『ジャングル・ブック』だった。

食べないものを殺してはいけない。遊びで殺すのもいけない。だが、食べるのならば殺しは許される。それは悪でさえなく、当然の行為だ。食べなければ生き延びられない。あるいは自分が食べられてしまう。それを踏まえての厳しいジャングルのルールだった。

つづいて手にしたシートンの著作では、初めて大きな生きものを撃ち取った若い狩人が震えて、立っていられなくなる描写に深く心を動かされた。自分が奪った命が自分の命を支える。その不思議と畏敬を大切に胸の奥にしまった。

共同体のなかで狩りが日常的に行われる土地に生まれていたら、自分は間違いなく銃を撃ち、罠を仕掛ける者になっただろう。どこに根ざすのかわからないその確信は、今も消えない。魚だけでなく、鳥も動物も、ナイフできちんとさばけるようになりたいとひそかに願っている。

肉の「製造」が工場化された現代、その過程は消費者の目からはきれいに覆い隠されている。自分の手で殺さないのだとしたら、せめて、それがどうやって行われているかをぜひ知りたい。『世界屠畜紀行』は、あまり言語化せずにきたその願いにぴたりとはまった本だった。

深夜営業のスーパーで蛍光灯に照らされているひき肉のパックも、もとは一頭の巨大な動物だった。冷えきった赤身からそれを想像するのがむずかしいのなら、これを読むといい。ウチザワ女史が現場を丁寧に案内してくれる。

世界屠畜紀行

世界屠畜紀行