子供はいつでも大人が考え付かないようなことをする。
やっぱ犯行予告はよくないよ…って思ったんだ。
明敏な若い人たちが活発に交わす議論を読むのは楽しい。でも中学生になりかけのネット初心者が家に居る身としては、純粋な議論として楽しむのは難しい。
頭のいいお子さんは違うんだろうが、うちの小僧は、言葉を額面通りにしか受け取れないバカモノだ。
ネットの荒野では、猜疑心の杖と裏読みの鏡を持たない旅人は斃れるしかない。ある程度の社会経験があれば、ネットで思いがけず提示される善意や戯言における真意の所在を見抜くこともできるだろうが、子供にはその蓄積が欠けている。誰でも優しくしてくれる相手は信用してしまうだろうし、甘言を退けるだけの決断力もない。大人でも踏み迷う場所で、それらを見抜けとは要求できない。
いま、息子からはケータイにメールをつけてほしいといわれている。
つけるのは、連絡上の問題等からやぶさかではないのだが、それのルール作りが難しい。
こんなサイトもある↓
これくらいのことはすでに教えている。しかしネットでの失敗や情報リークは、そのまま物理現実での損失や生命の危険に繋がるという切実さについては、どうやって教えたらいいのやら。
また、親や学校のあずかり知らぬところで、ネットやメールが子供同士のいじめに使われるというのはよく聞く話だ。子供たちは有能で残酷な拷問吏だから、いくらでも巧妙な使い方を考えつくだろう。ネットやメールがない時代にはもう戻れないから、書くのは愚かなことだが、いじめられるターゲットにとっては、昔よりも拷問方法のバリエーションが増えてしまったというわけだ。
ネットは破滅に至る門でもあると、そんなふうに教えたくはないのだが、過去の経験を考えるとどうしてもそこからはじめざるをえない。
たとえば、だが。
子供がネット上で反社会行為をして、それが公になり、とがめられた本人が「(そんな程度の反社会的行為なんか)たくさんやったらいいってネットに書いてあったから、面白くなってやった」と云った場合は。
責任は誰にあるのだろう。
サイトを見た小学生の子供か?
そういうサイトを見るのを許した親か?
あるいはそういう内容をつづったサイトの責任者か?
悲観的にすぎるだろうか。でも何かあってからでは遅い。子供にはネット的KYはまったく通じない。
ううー、やっぱりフィルタリングでいくか…。