「英語」が亡びるとき。

機能語(道具)としての英語が広まり、英語こそ存続の危機に瀕しているのかもしれない……との問いを投げかける内容の記事*1を読んだ。もはやこの言語は英語(English)とは呼ばれず、グロービッシュ(Globish)の名称を持つ。実際、移民児童の多い土地に住んでいて、この指摘は心底納得だった。グロービッシュは、ビジネス・コミュニケーションだけでなく移民子弟の間にも広がっているのだ。

asuka’s booktree 絵本手帖― 英語ではないグロービッシュの繁栄

http://d.hatena.ne.jp/asukab/20090131/1233467659

That the French resent the global supremacy of the English language is nothing new, but as Hugh Schofield finds out, a newly evolved business-speak version is taking over.

BBC News―New lingua franca upsets French

http://news.bbc.co.uk/2/hi/programmes/from_our_own_correspondent/7844192.stm

最初のブログの書き手の方はアメリカにお住まいで、あちらの面白い絵本新刊をいろいろと紹介してくださるので、ずっと楽しみに読んでいる。

上記エントリでは、先日話題になった『日本語が亡びるとき』を裏返して見るようなあちらの英語事情を書いていらっしゃるので、忘れないために引いた。

機能語 tool としての英語と、歴史と文化を担う時間語としての英語。ビジネスコミュニケーションに重きをおいて進められる日本のヲトナの英語学習がどちらをターゲットにしているか明々白々だ。

これからあと数十年くらいすると、非英語圏である中国と、独特の英語を発達させているインドの台頭の影響で、交易用英語の変化はさらに進んで、英米の言葉とは完全に別物になっているかもしれない。ビジネス英語はさらさらできても、英語古典はぜんぜん読めない層の増加。それは水村女史が危惧したどこかの国の未来と実によく似ている。