美の死―ぼくの感傷的読書

美の死―ぼくの感傷的読書 (ちくま文庫)

美の死―ぼくの感傷的読書 (ちくま文庫)

例の案件、まだそのまま面倒を見ている。おかげで毎晩日付が変わりそうな時間になるので家族に怒られる。そんな仕事は辞めろとまで云われる。それがいちばん疲れる。やれやれ。

車内ロシア語学習は進まなくて悲しくなるのでひとまず置いておいて(テキスト広げる→寝る)久世光彦氏の『美の死』(ちくま文庫)を読んでいる。文章も内容も、思い描いていたとおりの生暖かい湿りぐあいで、これを読むのに悩ましい春以外の季節は考えられない。ちくま文庫の活字とその並び方が好きだったのも思い出した。この文庫ができたてのころに買った外山滋比古氏の著作が、大学の入学試験に出されたりしたこともあって……文字を見ると連想は果てしなく続く。マジシャンが握った掌から引き出す鮮やかなスカーフのようだ。

昔、「恋は、遠い日の花火ではない」というコピーがあった。当時さほど深く考えなかったのは、自分が若かったからだろう。恋愛は若いひとたちだけのものではないという簡単な事実を、こうして職場と自宅の往復ばかりしているとすっかり忘れてしまう。ある種のひとびとは死ぬまで濃密な恋をしたり、嫉妬したりする。年を重ねて、恋したり恋されたりする人々が、たかくたかくのぼりつめる喜びと華やぎの艶やかさ、散った恋にはまり込む陥穽の暗さは、若い世代のそれとはくらべものにならない。やっぱり年を取らないと人間であることは愉しめないのだ。平生は、長生きしたいとほとんど思わないのだけれど、久世氏にさとされて、ちょっと考えをあらためた。ええい、エロ爺なんだから、もう。