ネットとゴースト。

「われわれの神々もわれわれの希望も、もはやただ科学的なものでしかないとすれば、 われわれの愛もまた科学的であっていけないいわれがありましょうか」 ―――ヴィリエ・ド・リラダン

 かれはそれを消せずにいるという。そして、故人の電子メールアドレスも削除できずにいるという。「かれがいなくなっても、サイバースペースにおけるかれの居場所がまだあるなら、どうして真にかれが消えてしまったと言えるだろう。思い出となったネット上のかれの存在が、存命中のかれのネット上の存在と比べてリアルでないなどと言えるのだろうか。存命中のかれは、そこにいたが、いなかった。今のかれは、そこにいないけれど、いるのだ。唯一の差は、かれが返事できないというだけにすぎない。コンピュータの空間では、われわれみんながオーラであり霊でありゴーストである。したがって、インターネットこそは、われわれの知る限りで死後の世界に最も近いものなのだ」

メディアと怪談とインターネット (別冊宝島『怖い話の本』) 山形浩生 6. 電子メールと「死者の場所」

彼女がいなくなって数年が経った。

もう使っていない旧PCには、彼女からきたメールがそのまま残り、「お気に入り」には彼女のサイトのURLが登録されている。ケータイにもデータはある。PHSの番号とアドレス。住所と電話番号は千葉の下宿ではなく、彼女の実家になっている。

身体をわるくして北の国に帰って、そのままこちらに戻っていないだけなのではないか。いまごろは雪に埋もれたあの地方で、猫を撫でながら穏やかな療養生活を送っているのではないか。

どうしてもそんなふうに想像してしまうのは、彼女と知り合ったのがネットだったからだ。何度もオフで会い、いっしょに飲み(彼女はとても酒精に強かった)、泊りがけで旅行にも出かけた。

しかし、われわれのつきあいの本質はいつでも画面の向こう側、日常では何の役にも立たない知識や趣味を面白おかしく語るネットのやりとりにあった。互いの性別、年齢、その他物理現実に属するもろもろ、さらに距離は最初から関係がなかった。ネットに繋げば彼女はいつでもそこにいたし、今でもいるような気がしてならない。

彼女は押井守監督の作品をこよなく愛していた。公開を心待ちにしていた『イノセンス』も入院中で観ることはかなわなかった。

あの映画のサントラを聴くと今でもつらい。実体を離れて電脳空間に去った少佐の再来を希求するバトーのように、今も心のどこかでネットでなら彼女と再び話せるのではないかと思っている自分に気づかされる。

現在、ブログなどのサービスはたいていが無料で利用できるので、会費滞納によって登録が抹消されることはない。本人が死んでも、その日記やブログはインターネットという空間で永遠に近い時を存在し続けることになる。

ブロガー死してブログを残す――ネット空間に生き続ける“友人”たち

そう、彼女が例えばはてなを利用していたとしたら、日記はいまも残っていただろう。しかし当時(といっても本当に最近なのだが…ううーん、ネットの変化は速い)はまだ無料ブログや日記が一般的でなく、一律的なデザインに不満がある場合はみなためらいもなくHTMLタグを手打ちして自分好みのサイトや日記を作っていた。

筋金入りの林檎使いであり、ウェブデザインを得意としていた彼女もその例外ではなく、課金制のサーバを借りて自分のサイトを運営していた。そのため、入院前の払い込みが底をついた時点でそこは消されてしまった。

だが彼女が遺したテキストはあちこちに残っている。その存在の痕跡がネットから完全に消え去ることはないだろう。そのあたりは、上記の引用の通りだ。彼女はわれわれの記憶のみならず、ネットの中で生き続けている。

しかし、彼女の家族はそのことを知らない。ネットに住んだことがない彼らには、残された情報を検索し、辿っていく方法さえわからないだろう。

彼女が逝ったあと、遺されたサイトの存在をご家族に知らせるべきなのだろうかという話が仲間うちで一度出たことがあったように思う。

だが、サイトや日記は通常、家族やリアルの友人には見せない側面の産物であることも多い。本人が隠していた秘密を死後に暴き立てる行為ともなるだろう。けっきょく、その話が実行に移されることはなかった。

ネットと個人の死についていろいろと考えるようになったのは、それからだ。ネット住民の死とそのサイトの消滅は毎日起きているはずなのに、それをきちんとすくいあげて処理するサービスはまだ生まれていない。

自分が死んだらすぐに何もかも消したいのか。*1

それとも永遠の墓碑として遺しておきたいのか。*2

自分の死と更新停止を誰かに知らせてほしいのか。

ネットのみで繋がっている友人知人にどうやって知らせるのか。

ネット墓守、またはサイトを保守し続ける永代供養サービスは可能か。

はてな訃報」サービスはもしかしたら実装可能かもしれないが(ネットユーザもやがては高齢化する)、リアルの死をネットに通報するサービスが必要になる。ここが実現でいちばん難しいポイントになるだろう。

臓器移植承諾カードのように「わたしが死んだらここのアカウント管理代行サービスに連絡してください」カードを携帯しておけば大丈夫な世の中にならないものだろうか。

ちなみに自分が選びたいオプションは以下の通り。

かねてよりお知らせしておりましたアカウントすべてについて、

更新停止を通知してください。24時間後に全ログを抹消してください。

訃報通知送信メールアドレスリストも登録済みです。

はかない現世の雪や泥に残された足跡はすぐに消えるのが定めだ。

身一つでとなりの部屋に移っていくそのときに、あとに遺していくほどのものなど何もない。

*1:物理現実における遺品整理を行うキーパーズ社のブログを読んでいると、残された遺品(たとえば山のようなアダルトビデオなど)が遺族を困惑させることも多いようだ。死は万人の下に突然に訪れる。たとえばアダルト画像ファイルをPC内に山のように遺してぽっくり逝きたいひとはあんまりいないと思うが、そんなことはないのかな。すくなくとも自作のアホテキストはぜったいに家族に見せたくない。ネットからの操作でこういうのを抹消するサービスもほしい。<と無理難題をならべてみる

*2:ちなみにうちのブログ名は墓碑名向きとお誉めいただいたことがある(笑)