記憶の重層。

先日の中部方面巡りの際、国道1号線と名を変えた東海道を車で走りながら土地の記憶についてずっと考えていた。

ふだん住んでいるあたりの歴史は、日常から見えにくい。新興の住宅地に住んでいて、自分が日本史に造詣が深くないのも一因なのだろうが、横浜の史実で思いつくのは例の「初めて開港」くらいだ。鎌倉よりこちらでは明治以降の歴史ばかりがクローズアップされる。たかだかこの百五十年ほどの話だ。

旅行先では、日本史に登場する古い地名や諸侯の名が暮らしのすぐそばにあった。それを前面に押し立てて観光スポットを演出しているのもあるが、それだけではない。広々とした田畑やひなびた街の底に厚く歴史が塗り重ねられ、その上に今の暮らしがあるのが透けて見える。敗残兵の血に染まった川、築城で高名な殿様が整えた街、合戦の地の名がついたサービスエリア。時間が流れ去っても、かつての栄華、動乱、往き過ぎた人々を土地は覚えているにちがいないと思った。