祈りの美。

乗り込んだ機内で、持参した古川日出男『アラビアの夜の種族』(角川文庫)を読みながらラジオを聴くことにした。座席前のポケットから引き抜いたプログラム冊子をめくると、グローバルスタンダードとしての欧米洋楽ヒットチャート、ジャズ、クラシック、洋楽ナツメロ(70~80年代のヒット)の他に、malay hitz、mandarin mix、japanese collections、hindi rhythms、quranic verses と、これから訪れる地域の混沌とした文化圏を体現するかのようなチャンネルが並んでいた。

奇策をもってナポレオンを迎え撃とうとするエジプト回教徒の物語にふさわしいのは、当然さいごのチャンネルだろうと踏んで、番号を合わせてみた。

ムスリム市民が多い国に滞在すると、早朝の街に響きわたって祈りの時刻を告げるアザーンからは逃がれられない。したがってクルアーンことコーランの詠唱を聴くのは初めてではないが、男性の美声がえんえんリズミカルに続くのがこんなに耳に心地好いとは思わなかった。*1

プログラムに印刷された朗読章のタイトルの中に、いま本で目にしたばかりの語を見つけた。SURAH AL-MUNAFIQUN。聖戦に背を向けて逃げる回教徒は「贋信者=ムナーフィクーン」の烙印を捺されて地獄落ちが決まるのだとか。預言者ムハンマドの烈しい糾弾と断罪の宣言も、こんなになめらかな響きで詠われるのだろうか。視覚的イメージの援用を許された基督教と違って偶像崇拝を徹底的に禁じるイスラムには、この詠唱がよりどころなのだろう。目を閉じて聴いていると、声と韻律に心を絡め取られてしまいそうだ。

*1:もともと殿方の美声に弱いのもある…。