食糧棚

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お勧めした手前、以前書いたものを再録しておく。

「君が食べたいものを云ってみたまえ。君という人間がそれでわかるはずだ」。

そういったのは、フランスの美食家ブリヤ・サヴァランだった。


ジム・クレイスの静かで冷徹な文体と自然に対する観察眼が好きだ。

英国人作家である彼は1946年生まれ、今までに六作の小説を上梓しており、『死んでいる Beind Dead』(1999)で全米批評家協会賞を受賞している。ウィットブレッド賞受賞の『四十日 Quarantine』もすでに訳書が出た。


タイトルは、冒頭に掲げられた一文から取られている。「天国に苦き実はなく、悪魔の食糧棚に蜜はなし。There are no bitter fruits in heaven, nor is there honey in the Devil's Larder.」六十四の短編から成る本を編むに当たって著者の凝らした企みは、すでにここから始まっている。出典として示されている聖書にこんな箇所はないはずだ。


訳者・渡辺女史によるあとがきによれば、著者は、イタロ・カルヴィーノ『見えない都市』、プリーモ・レーヴィ『周期律』、そしてチェスの勝負にまつわる或る民話からインスピレーションを受けてこの本を執筆したのだという。チェスの盤面を構成するマス目と同じ数の掌編が並んでいるのはそのためらしい。商人マルコ・ポーロにさまざまな「都市」を語らせたカルヴィーノと、「元素」にちなんだ短編集を遺したレーヴィに倣って、著者が選んだテーマは「食物」だった。


何が入っているかわからない缶詰、天使のパン、カレーNo.3…実にさまざまな話が並んでいる。優れた料理と同じく材料も味付けも千差万別。クレイスの文体は簡潔だが、語られている内容は単純明快とはいかない。村上龍『料理小説集』のようにある程度明確なストーリーがある話から寓話や説話、噂に似た話、数ページにわたる話もあれば、数行で終わる話もある。甘くはない。噛んで舐めているうちに、苦味が勝って吐き出したくなるかもしれない。

奇妙な味わいの本だ。

本を閉じてからも餓えが残る。もっと食べたくなる。

それが、この本の欠点かもしれない。

(2003-1-26)