マリア・シビラ・メーリアン―17世紀、昆虫を求めて新大陸へ渡ったナチュラリスト

マリア・シビラ・メーリアン―17世紀、昆虫を求めて新大陸へ渡ったナチュラリスト

 ダーウィンよりも早く、フンボルトよりも前に、オーデュボンにも先んじて、マリア・シビラ・メーリアンは科学の発見を企ててヨーロッパから新世界に渡った。画家からナチュラリストに転じたメーリアンは、その生涯の大半を通じて昆虫を研究した。初め彼女のフィールドは、生まれ故郷ドイツの庭や森だった。だがやがて、南米との交易船にもたらされる奇怪で目を見張るような標本に魅せられて、一六九九年、彼女ははるか遠方へと足を伸ばした。二年にわたってむせかえるようなスリナムの熱帯を歩きまわり、葉をめくり、花をのぞきこみ、毛虫を探した。毛虫こそ、メーリアンが最も情熱を注いだ対象だった。打ちかかってくるような熱気もどしゃぶりの雨もタランチュラもピラニアもものともせず、下の娘を唯一の道連れに、メーリアンは昆虫を尋ね、見つけた獲物を絵で記録していった。探索の旅のために彼女は大きな犠牲を払っていた。何年も描きためた絵を売り、夫と別れ、十七世紀女性はかくあるべしという因襲を振り棄ててきたのだ。 (pp.5-6「プロローグ」より)

読了。三百年前のドイツに生まれ、正規の教育も受けることがなかった女性がいかにして虫めづる版画家となり、五十二歳で船に乗り込み、二ヶ月の旅に耐えて南米スリナムへと観察旅行に出かけることになったのか。

メーリアンを取り巻く環境、素朴な科学者たちが我先に興味の対象を追いかけ、奇態な研究成果を花咲かせて混沌としていた当時の世相、そして彼女の指先から生まれるすばらしい虫の生態画の内幕をさぐりながら、彼女の生涯を丁寧に追いかけた評伝である。

夫を持たない女性が職業ギルドにも入れないドイツから自由で活気のあるオランダへ、宗教の共同体から科学的好事家の連帯の中へ居を移しながら、結婚と子育て、離婚を経つつも彼女がいっさんに目指したのは「虫たちの観察とその記録」だった。手ずから毛虫を飼い、さなぎや繭をつくらせて、やがてあらわれる成虫の姿をスケッチする。でもときどきはさなぎから蝿がでてきたりする。これはどうしてだろう…彼女はたくさんの習作とノートを遺している。

印刷業の父親を持たなければ、オランダに移らなければ…絡み合った幸運な無数のifに支えられて生まれた驚異の版画家の作品群が、ロシアでの長い眠りから醒めたのが70年代。そこから「女性だから」「教育を受けていないから」と軽んじられてきた彼女の再評価が始まった。

口絵として再録された彼女の版画にはふつうのひとなら眼を背ける毛虫や蛾がいっぱいだ。細密に描かれ、色も美しく、こちらまで嬉しくなってしまうほどの生命感を漂わせている。同じ虫好きとして、アマチュアの情熱と科学者の観察眼をあわせもっていたであろう偉大な先達と言葉を交わせたら、どんな話が聴けただろう。そう考えるだけで胸の奥がわくわくして、そしてさみしくなる。

 一方、どの時代をとってもメーリアンほど充実して充ち満ちた人生を送った人間を思い浮かべるのは難しい。これまで道のなかったところに先鞭をつけていく意志の力は相当なものだったろう。彼女は周囲の期待にうなずいては見せたものの、そんなものはほんのさざ波にすぎないような顔をして平然と突っ切って進んでいった。もちろんわたしは、彼女が科学にもたらした恩恵を多くの人に知ってもらいたいけれども、彼女が遺してくれたいちばんの贈り物は、その生き方だったのではないかと思えてくることもある。面倒や厄介事の起きない人生はない。誰だって自分をもっともらしく説明したいし、矛盾に満ちていたり、人目に触れないほうがいい過去を隠し持っていたりする。けれども彼女の存在の根底には、決して砕けない豪胆さがある。(p.297「終わりに」より)

21世紀に入り、情報を発信することが誰にでも可能な時代になった。17世紀当時はメーリアンの生家のような印刷業者にしか許されなかった本作りなど、PCとプリンタさえあれば朝飯前だ。本という媒体を通さなくてもネットを使えば、もっと手軽に、全世界に瞬時に知らせることができる。

だが何を訴えるのか? 何を世界に向かって訴え、何を成し遂げたいのか? 歌うも自由、歌わぬも自由。すべては個人の魂に一任されている。

性別も肩書きも関係ないこの場では「好き」の力、「やりたいこと」の力が最強だ。メーリアンほどの個性ならば、どんなに活躍できたことだろう。

関連があると思われる本を少々並べておく。

アマゾン河の博物学者

アマゾン河の博物学者

愉悦の蒐集 ヴンダーカンマーの謎 <ヴィジュアル版> (集英社新書)

愉悦の蒐集 ヴンダーカンマーの謎 <ヴィジュアル版> (集英社新書)

この新書のp.19「アンブラス城」版画はマテウス・メリアン『世界図誌』(1649)から。つまりマリア・シビラの父親の手になるものである。

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Finders, Keepers

この本の一章で、本書中に登場するアムステルダムの外科医フレーデリク・ライス Frederick Ruyschの人体標本コレクションの写真が見られる。メーリアンの娘夫妻をロシアに連れ帰ったピョートル大帝、彼の蒐集品はものすごい。

あわわ、積読ばっかりだ。

id:sap0220氏が併読本の「食べ合わせ」について書かれていたが、この本の著者の女性もイェール大学出身だったり(『日本語が…』の水村氏は同大で仏文を修めている)、オランダが舞台になったり(『英会話ヒトリゴト…』の酒井氏はオランダ在住)、著者の前著はPEN Gerard賞(この日の日記に出てきた)を取っていたりと、なんだかかぶるところが多かった。本にもタイミングというのがあるのかもしれない。