ゲランドの塩物語-未来の生態系のために-

ゲランドの塩物語―未来の生態系のために (岩波新書)

これほど「グルメ」の時代に、何が美味しいかはむろん問題なのだが、いちばん気になる点が美味しさそのものよりも、「何がいちばん安心できるか」にシフトしてきた。問題は、正体不明なものが、消費者の合意もなく、生産側から一方的に押し付けられていることである。(p.28より)

この本が出たのは2001年。その七年後の去年、毒入り餃子事件が日本中を騒がせたのは記憶に新しい。

前世紀の終わりの狂牛病騒ぎから始まった食の根本の問い直しは、フランスでは、アメリカ的なグローバリズムに対する抵抗運動として燃え上がった。むこうの農民たちはしょっちゅう何かに抗議してあつまったり燃やしたりボイコットしたりしているイメージがあったが、その理由がよくわかった。

効率・利潤優先の刃に削られ、生産優先の名のもとに毒されつつある農業を守り、安心して食べられるものを作るためにはどうしたらいいのか。絶滅に瀕したブルターニュの塩職人(パリュディエ=「沼の人」)や市民たちはどう動いたか。塩田を葬り去ろうとするリゾート計画をいかにしてつぶしたのか。安定した値の設定と供給体勢、後継者育成。学ぶべきことがたくさん書かれている。

塩職人は夏のあいだ、ヨーロッパ独特の日の長さを利用して、ほぼ一日一ニ時間くらい作業することができる。塩職人はそれぞれ所有している塩田の固有の性格を知り尽くしていなければならない。だから「塩田を自分の妻を愛するように愛せ」と熟練職人は言う。「今日は小雨が降るからといって、一日、塩田を見にゆかなかったりすると、カニが水門の横に穴を開けてしまって、一五日間、収穫できるはずの塩が台なしになる」ことがあるという。だから、塩職人はいつでも出かけられるように常に態勢を整えていなければならず、塩田のそれぞれの池の状態を把握しておかなければならない。天然塩は太陽と風が自然に作ってくれるものと決め込んで、昼寝などしていられないのだ。陽光の強さ、風向き、空気の湿り具合、塩田の状態、水路の状態、水の温度などに日々気を配っていなくてはならない。また炎天下で、手早く塩をかき取ってゆく作業は敏速な動きと判断が求められる。(p.83より)

日本でもいうではないか。「作物はひとの足音を聞いて育つ」と。

数百年にわたって受け継がれた仕事を守ることで周囲の自然をも保護し、それがさらに土地とひとを豊かにしていく。ゲランドの塩田の物語は、その得がたい成功例である。

人工製塩では取り除かれてしまうミネラル成分が含まれているゲランドの塩は、料理の味を上げてくれるという。今度ぜひ買ってみよう。

この本をお勧めくださった三上先生、どうもありがとうございました。