Auf Wiedersehen.

ずいぶん前に、トラブルを起こしてはサイトを移転して、そのたびに旧サイトの読者をあっさりと置きざりにしていく管理人のことを書いた。

日記の場所を移していく行為そのものに違和感はない。無料から有料へ、あるいはその反対へ、また、より便利なサービスに乗り換えるなど事情もさまざまあるだろう。だが移転のたびに、古くなった鱗皮のように読者を脱ぎ捨てていくことの是非については、今もまだ結論が出せないでいる。

日記を閉じて名を変える行為は、周囲からは、すぐそこに居たひとが突然あとかたもなく消失するのと同義だ。去る側が、目印になっていた火を踏み消した場所に、次の露営地へと続く手がかりを何も残さなかった場合は、とくにそうだ。読者側は、旅人が去っていった方角もわからず、宙に十字でも切って幸運を祈ることしかできない。

自分は、もし跡地からそれなりにtrailが続いているときは、次の場所まで追ってもよいのだと判断して、あの手この手で検索をかける。何も残っていなければ、もう周囲と縁を切りたいのだろうから、と追跡をそこで諦める。そうやって、消えたひとたちを何人も見送ってきた。

ひとつところで長く、場合によっては実名で、ずっと書き続けていく重圧は大きいだろう。それはよくわかる。日記を閉じるのも場所を移すのも、書き手を守るためには無理のない選択。しかたのないことだとはわかっている。そう、これは置いていかれるほうの繰言だ。むかし自分も、事情があったとはいえ同じように、長年書いていたところを放置した経験がある。こんなことを云う資格などない。だからもうおしまいにしよう。

旅人の幸運と平安を祈りたい。再会の日までごきげんよう