The Experiment terminated.

twitterで、モチヲ氏が「2006年2月よりずっと続けてきたウェブ上での人体実験を、今日にて終了することにした。そして新しいことを始める準備に入ろう」と書いているのを読んだ。

ウェブ上での人体実験=すべてのウェブ上での反応・感想を読むこと。これはもう終わりにしてもいいだろう。30,000以上、読んだから。

すさまじく時間と労力を必要とする「実験」だったと思う。彼の著作についてここで書いたらすぐに(記事をアップして数分後)ご本人からスターがついて、あまりの巡航スピードに狼狽したことがある。

 そうですね……。「ウェブはバカと暇人のもの」(光文社新書中川淳一郎著)という本が出たでしょ。まだ全部は読んでいないんだけど、前書きを読んだら僕のことばかり書いてあってね。

「梅田さんのウェブ進化論を否定するわけじゃないけど、彼が書いているのは頭の良い人の世界。わたしがこれから書くのは普通の人とばかな人の世界」という書き方があったの。その上で、日本語圏のインターネット空間で、著者の方が経験した物語みたいなのが書いてあって。

 ウェブ進化論が出て以来、アンチの本とかずいぶんたくさん出ていて。全部は読んでいないんだけれど、彼の書き方はフェアだなという感じはちょっとしたんですね。そう言われればそういう切り分け方はあるんだろうなと思った。

 そういう意味で、ぼくが将棋に魅せられるというのも、ものすごく優れた人たちが徹底的に切磋琢磨するプロフェッショナルな世界に惹かれるから。そういうところでやってる人がものすごく努力して至高の世界に行く。そういう中で最高峰の世界をみせてくれるじゃない。そういうのに惹かれるから。

日本のWebは「残念」 梅田望夫さんに聞く(前編)

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0906/01/news045.html

これまで、彼がネットの水面に石を投げ込むたびに、受け入れるひと、ネガティヴな反応を返すひと、さまざまな声がいっせいに上がるのを見てきた。本も数冊読んだ。それらと上記から感じたのは、彼の精神の屋台骨もまた、ほとんどのひと同様に若い頃に居た環境によって形作られているのだということだった。

氏が幼少から通った学び舎の入学試験は、その筋ではとても有名だ。難易度もさることながら、改革者・福澤翁を開塾の祖とする私学ならではの「本学にふさわしい生徒」たりえるかどうかの選別も働くのだろう。狭き門をくぐることを許された少数者たちは、独立自尊を重んじる学校の空気を呼吸しながら成長していく。好きなことに没頭する子供にとって、エスカレータ式進学は最適な環境だ。周囲に居るのは、もし成績や素行や性格が悪かったとしても、基本的に頭の回転の速さはお墨付きのクラスメイトばかり。

そういう、人的資源に潜在的に恵まれ、個人的な嗜好を大切に育むことを許された環境で、自然に培ってきたであろう意見や嗜好を、彼は上記で素直に述べているだけのように思えた。噴き上がった反発の炎に対しては、ブログを読む限り、それらに答えようとする意志があまり強くは感じられない(現時点ではまたいずれ書くということだが)。日本のウェブでも知的論議が花開くところを見たかったけれど、そうならないのならしかたがないし、日本のウェブを席巻するサブカルチャーに興味がないのは、最初から志向性が違うから。それよりも興味があるのは将棋。だから将棋観戦のブログをべつにつくって公開した…と、自分の興味に則って淡々と行動しているように見える。

楽しいと思うことを追いかけ、突き詰めていくことを好むタイプにとって、知的興奮は良い燃料になる。個人的な人間である、と繰り返し語る彼にとって、日本のウェブを導くリーダーなどと呼ばれていつのまにかかぶせられた三角帽子など、もうどうでもよさそうだ。

夏休みを迎えて、虫捕り網を持って一目散に森に走っていく子供のような彼の後ろ姿を、これからもなんとなく視野に入れていよう。

わざわざ標本を作ったり飼育したりしなくても、虫の美と不思議を知り、楽しむことはできる。岡目八目というのは碁の観戦に関する語だが、楽しむために自分が指し手である必要がないのは、将棋も同じだ。そして、自分が好きなことに眼を輝かせているひとの話は、たいてい、とても面白い。