Fortune-teller’s Monologue

友人の依頼を受けて、彼女の知人A嬢にタロットを教えることになった。

知人といっても、大人ではない。中学生の少女だ。

彼女とその同級生を、いちど占ったことがあった。

ふだんは18歳以下を占わないことにしているのだが、このときはよんどころない事情があってそれを枉げた。A嬢は、そのときにカードに興味を持ったらしい。

占いのあとで、自分でもカードをめくってみようと思い立つひとはときどきいるようだ。手軽に未来を読むことができるのなら自分で、ということなのだろう。しかしもしカードを買ったとしても、そこから先にはなかなか進めないようだ。

カードはぜんぶで78枚あり、正逆の位置によって意味や解釈が変わる。色鮮やかな絵柄のカードが何枚並べてあっても、意味を知らなければ、のっぺらぼうも同然だ。最初から最後まで意味をつなげて何らかの物語を読み取っていけるようになるまえに、たいていの初学者は挫折してしまう。そしてまた占ってくれと頼みに来る。

こちらからは、この占いは霊感の有無関係なく誰にでもできるよと告げるにとどめて、それ以上は口も手も出したことがない。助言を求められれば答えるのにやぶさかではないが、占いに関しては、誰かから教わることができるのは、作業の最初の数ステップに過ぎない。あとは独りで勉強と実践を繰り返して、個人的な象徴体系をカードを通じて構築しなければならない。それは気晴らしを学ぶというよりも、魔術師の修行に似ている。

孤独な勉強を続けることなくカードをしまいこむのは、占う行為がそのひとの暮らしに必要ではないという事実の証左だ。カードをめくるのは、つまるところ、自分ではない誰かを占うためだ。自分のことだけを占いたいのなら、サービスや機会は山のようにある。わざわざ自分で覚える必要はない。

今回は、その「初学者にはノータッチ」の信条も枉げた。

相手が未成年だからだ。A嬢は優れた勘をもっている。くわえて、彼女を取り巻く環境は過酷だ。占いの技術は諸刃の剣だが、うまく行けば、彼女を支える杖のひとつになるだろう。やめてしまうのならそれでもかまわない。彼女が決めることだ。だが、最初は誰かの導きがあったほうがいい。そう思って、友人の依頼を受け入れたのだった。

わずか一時間で伝えられることなど限られている。

言葉を選んで、占いに向かうときの心得を説明したつもりだったが、隠秘の体系には触れたことがない中学生にどれだけ伝わっただろう。

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教えているあいだずっと、心の暗がりにひしめく古めかしい知識を意識せざるをえなかった。現実の世界では何も役に立たないが、これを欠いてはカードの言葉を聴き取ることができない知の体系だ。思えば、自分がタロットに最初に触れたのも彼女と同じ年だった。解釈の作法、描かれた象徴が喚起する連想、ひとつの図像に何重にも重なる隠喩、学んだことも覚えていないようなこれらを、きれいに誰かの中に移し替えなければいけないのだとしたら、それはとても難しい。

やはり弟子を取るのはやめたほうがよさそうだ。