Songs of Innocence and of Experience-2

 平日の午後三時。駅に隣接するショッピングセンターの広い本屋だが、雑誌コーナーを離れてしまえば客はまばらだ。せり出したおなかの中身が育っていよいよ重くなってきた今、目につくところに椅子がない場所は不安になる。売り場面積の分、たくさん歩かなければいけないここにも最近は来ていなかったが、やっぱりあきれるほど空いていた。ネットで話題の本がぎっしりと平積みになった棚がさみしそうだ。外に出られない分はウェブで買っているので不自由はないが、それがなんだか申し訳なくなるような閑古鳥の鳴きっぷりだった。

 海外文芸の棚の前にも、当然のように人影はなかった。

「どうですか、体調は。マルコー出産は大変ですよねぇ」

 しれっと云って、多色に輝く背表紙が並ぶ棚を見上げた彼女の横顔を、わたしは睨みつけた。

「それ禁句。ていうか丸高って言葉はもう云わないんだよ。最近はアラサーどころか不惑過ぎてもみんな産むからね」

「みんなっていっても都市部の話でしょう。そちらはご夫婦とも高学歴だし、パーフェクトベビー・シンドロームにハマったりしてませんか。バーナード・ショーのあの話みたいに」

 年上に対してよくずけずけというものだと別の意味で感心するが、こんなことでめげているようでは彼女とは会話ができない。

「ほっとけ。おなかの大きい人間はみんな多かれ少なかれまだ見ぬ子に夢を託すもんなんだよ。あんたが生まれるときだって、ご両親はいろいろ…」

「どうですかねえ。うちは代々絵に描いたような政略結婚ですからね」

 ケープで覆われた肩をすくめる彼女は、たぶん、一度も外で働いた経験がない。いわゆる金持ちの、深窓の令嬢。平日のこんな時間に本屋をうろうろできるのもその身分のせいだ。本を買うときは死ぬほど買う。月に数万以上は買っているはずだ。欲しいものを思いのままに買える資金と戦利品を収めるスペースに恵まれた彼女は、ビブリオマニアなら夜毎の夢に見そうな深甚広大な書庫の主だという。ほかの連中がやっかみ半分にする噂話だから、真偽はわからないけれど本当だと思う。ひとに気を遣われることはあっても、自分は気を遣わずに暮らしてきた人間ならではの、想像を絶する無神経ぶりは正直気に障るがときどき心配にもなる。というか嫁いだらやってけないだろう、この天然な性格では。

「政略結婚でも、だよ。結婚と妊娠と出産がぜんぶ一直線上にあると思ってるなら間違いだね」

「どういう意味ですか」

「あんたみたいに清い身で夫と妻と子、家族の聖なる三位一体を理解するのは難しいってことだよ。結婚教に入信しないと体得できないお告げもたくさんある。ジョゼフィン・ハートの『ダメージ』でも読みな。古本屋にしかないだろうけど」

「映画化されたやつですね。主演が…ジェレミー・アイアンズでしたっけ。こんど探してみますよ」

「主人公があまりにバカで本を投げたくなるだろうが、男ってのは例外なくああいう弱さを持ってるんだよ」

「―――そう、経験者にお訊きしたかったんです。ほかの連中じゃ頼りにならなくて」

 彼女は考えこむように云って棚からこちらに向き直った。レンズのむこうの目が真剣だった。

「自分でいろいろ考えたんですけど、どうしてもわからなくて。クリスマスのプレゼントってのは、何をあげたらいいんですかね?」

まだ続く。