専業主婦の子育ての息苦しさ。

子供と二人で毎日過ごしてた時

http://anond.hatelabo.jp/20091022224817

最近、隣に引っ越してきた一家は三人家族だ。テニスと鼻歌が好きで(息子によるとColdplayの歌が多いらしい)元気な旦那さん、お化粧が薄くてしっかりした感じの専業の奥さん、幼稚園に行き始めたばかりのお嬢さん。御夫婦の若々しい外見とお子さんの年から、三十代をすこし越えたくらいの若夫婦なのだろうと思っていたら、実はふたりとも自分より僅かながら年上だった。結婚がゆっくりで出産もずれこんだということなのだろう。今ではよく聞くパターンだ。

さっき、買い物から帰ってきたら、ちょうど旦那さんと娘さんが玄関から出てきたところだった。通り過ぎたときに運転席の窓から一度ご挨拶をしたのだが、彼らは、こちらが車を停めて降りるまで立ち止まって待ってくれていた。最初に旦那さんがはきはきと、そして彼に促された娘さんも「こんにちはー」と大きな声で挨拶してくれた。こちらも、下げた荷物を片手に持ち替えてばいばいと手を振った。彼女の可愛らしい姿を見ると、ほんとうに気持ちがなごむ。

育児にとても協力的な旦那さんと、かわいいお嬢さん、そして育児に専念できる環境。

息子が一歳になる前に別居して、彼を保育園に預けて働き出した自分からみると、理想のようにも思えるが、それはこちらの勝手な思い込みかもしれない。

引っ越してきたばかりでまわりに友人知人もおらず、実家も遠い。子供というパスポートを通じて新たに築く人間関係も、それなりに難しい。そういうなかでの孤独な苦闘をつづっている上記の増田日記は、育児経験がある人間には一行一行刺さるような描写が続く。

「~歳までは子供といっしょに」などと、世間で無責任に「推奨」されている専業育児生活には、底無し沼に吸い込まれていくような恐ろしさがある。子育てが終わったらまた仕事したいと思っていても、復職は容易ではない。出産・育児は、巧妙な落とし穴のように作用することも多いのだ。*1

殿方には理解されがたいかもしれないが、言葉が通じない年頃の子供と常に一緒にいるのは、天国でもあり地獄でもある。

小さい子供がいる親の一人称は常に「自分(複数)」となって、それは「わたし」とも「わたしたち」とも異なる意味を持つ。身体は二つかそれ以上、だが思考し決断する頭は一つの奇形の獣のような、いびつな責任を負わなくてはならない。子供の成長とともに親はこの不都合と違和感に慣れて(あるいは妥協して)いくし、また二重体分離の時期もいずれはやってくるのだが…。

「頭は一つ、体は二つ。」

http://d.hatena.ne.jp/yukioino/20080805#1217924938

自分は運よく、この孤独な生活に陥らずに済んだ。

離婚して、実家に帰ったからだ。それは、自分を育ててくれた地縁血縁のなかに戻ることでもあった。

けっこう早くに産んだこともあって、親を含めて周囲もみな若くて体力があった。自分をかわいがってくれたいろいろなひとたちが、今度は息子を預かってくれたり、保育園のお迎えに行ったりしてくれた。

そして昼間子供を保育園に預けて働いている間は、平凡な社会人生活を送ることができた。とにかく働き出すために、公立の抽選が待てずに入れた半私立の保育園は、たしかに割高ではあったが、時間延長が可能で長々と預かってくれたから残業もできたし、病理保育もきちんとしているところだった。朝夕はいつでも職場/保育園に間に合うようにダッシュで走っていたが、それが日常だったから苦にはならなかった。子連れシングルとして将来の漠然とした不安はあっても、細かいところまで考えている余裕はなく、ネズミのようにくるくると日々の回し車のなかで走っていた。自分も家族も健康で、働く場があって、本と酒がそばにあれば、それでもう幸せだった。孤独を感じたことはなかった。

子連れ離婚は、ひとによってはとてつもなく大きな苦労を背負うことになるのかもしれないが、自分はインフラに恵まれてしのぐことができた。周囲の人々にはとても感謝している。

受けた恩を返すために、同じように、困っている誰かを助けたいと思う。

引っ越してきたばかりの誰か解らない人に対するやさしいし何でも言ってねって言ってくれるけど実際は何もしてくれない近所の人が、公園出会う仲良いようでよそよそしいようでがんばって仲良くならないといけない必死だったりするか逆に輪には入れていて既に横柄なお母さんが嫌だった。人間関係がいやだった。子供のために人間関係を作ってその人間関係で人間扱いしてもらわないといけない。仕方ないとおもっていたけれど、どうしたらいいか解らなかった。

隣家の奥方は身体が弱いそうで、いま第二子をもうけるかどうか迷っているそうだ。

ときどきにぎやかに幼稚園のお母さんたちやお友達らしきが遊びに来ている声が聴こえる。

彼女が、魂の底でたったひとりで苦しむことがないといいのだが。

「何でも言ってね」というのは社交辞令ではない。そのままストレートに受け取ってほしい。苦境に陥ったら、遠慮なく声をあげてほしい。ここは人の住む街であって、無人の沙漠ではないのだから。

*1:とぎれなく仕事を続けて行くことを選んだ場合、結婚や育児・出産は、リスクになってしまう。極論するなら、男と同等に働けと要求されるのだから、女性の生理に基づく作業を一切省いた「男モドキ」になったほうが都合がいい。育児をアウトソーシングに任せられるほど稼いでいても、出産そのものは自分がするしかない。妊娠したとたんに肩たたきの声がかかるなどの外圧のほかに、受胎後の十ヶ月間、完全に健康で過ごせるという保障はないので、そうするとやはり、仕事を失う/休まなければならないリスクのある妊娠は避けたほうが得策だろう。そういうことを考えながらこういうエントリ ttp://asaippoi.exblog.jp/12146312/ を読むと、脳波が平坦になる。もともと男性と比べると完全に劣勢に立たされる体力勝負の世界にすき好んで突っ込んでいく女性は少ないと思うがどうか。過労死するほど働く女性はいないというのは何か統計でもあるのだろうか。シングルでワープアで、昼と夜に仕事を掛け持ちした結果、体を壊したり、うつになったりするお母さんはイマドキいっぱいいるんじゃないかと思うが、それは死につながる過労とはいわないのか。