アバター Avatar 3D版

観るのではなく、没入して体感する映画である。

映画は誕生以来、技術革新をばねにして幾度も生まれ変わってきたが、この映画からまた何か新しい時代が始まるのではないだろうかと、観終えて強く思った。*1

ストーリーは難しくないし、貸与される3D眼鏡だっておっかなびっくり掛けてみれば普通のサングラスと大差ない軽さだ。緑滴る異星の自然の美と奥行きに魅せられてしまったら、もうあとはスクリーンの中に吸い込まれてしまうだろう。明るくなった映画館で席から立ち上がったときは、明晰夢から醒めたような眩暈、そして名残惜しさを感じた。

連れて行った息子は「あんなふうに飛びたいなあ、いいなあ」を連発していた。うむ、あれは男子の夢だろうな。

数年かけて注意深く造られたナヴィ語を、『スター・トレック』シリーズから生まれたクリンゴン語と並べて書いている記事があった。トールキン教授のエルフ語から生まれた例の大長編といい、創作者たちの架空言語にかける情熱にはすさまじいものがある。

帰りに寄ったカフェで、次は人間が人間を模したロボットを操って生活することがデフォルトになった世界を描く『サロゲート』を観にいこうかと、息子と話がまとまった。いつまで一緒に行ってくれるのやら。

*1:前にそう思ったのは『ジュラシック・パーク』(1993)を観たときだった。スピルバーグが見せつけたCGの魔法はSFファンタジー分野の映画の全てを変えてしまった。あの映画の特殊技術を担当し、オスカーを勝ち得たスタン・ウィンストンのスタジオの名を、今回もエンドクレジットに見つけた。ナヴィ族のデザインに関わっていたようだ。巨匠の冥福を祈る。