黒真珠の誘惑。

『最後の晩餐の作り方』を読み始めた。食べるものネタの本を読むのは大好きなので、料理雑学の怒涛に押し流されていくのが楽しい。ボーデインの『キッチン・コンフィデンシャル』、ジム・クレイスの『食糧棚』、村上龍の『料理小説集』などとともにアタマの中の料理ネタオールタイムベスト本棚に並べる予定。

のっけからブリニ(ロシア風のそば粉のクレープ)が登場して、むかし読んだ文章、というかその文章からいろいろ想像をふくらませたのを思い出した。たまらなくなって本棚を探したら当該本はわりとすぐに出てきたので、いったんあちらを置いて再読。

キャヴィア・プレッセ。押しキャヴィア。熟しすぎたり、取りだすときにくずれた卵を集めてプレスする。一・三キロのキャヴィアから一キロのプレッセができる。お徳用キャヴィア・ジャム。従って味はいっそう濃厚。ねとっと固まって弾力性があり歯にからまりつく。

ギャルソンが支度にかかる。

ほどなくキャヴィア・ジャム入りの、丸くて温かい、ロシア式サンドウィッチができ上がるだろう。ブリニ一枚を皿にとる。まんべんなく溶かしバタをのばす。濃縮キャヴィアをのせる。スプンの背で押さえながらのばしてゆく。むっちりした黒い粒が光る。クレーム・フレッシュをかける。生クリームは軽い酸味と甘味と脂肪分だ。キャヴィアとブリニのつなぎの役目をする。塩漬けの卵の上品な引き立て役でもある。

                       ―――『パリの味』増井和子(文春文庫)

ぬおー。食いたい。キャヴィアをおいしい食材だとは思ったことは一度もないにもかかわらず、だ。あれは好みからするとしょっぱすぎる。同じ魚卵ならいくらの醤油漬けのほうがなんぼか好きだ。だが、このほわんとあったかいパンケーキにバターで生クリームでキャヴィアで店の窓からはマドレーヌ寺院が見えちゃうという状況に、読んだ当時は猛烈に惹かれた。それから二十年近く経った今も本物を食べたことがないままなので、「ブリニ」と聞けばむかしの憧ればかりがむくむくと蘇るという寸法である。「Caviar Kaspia」というこの店は、革命から逃れた亡命ロシア人が開いたところだという。今も、マドレーヌ広場のそこにあるんだろうか。

ちなみにロシア語では魚卵をикра イクラー(рは英語の音価rなので巻き舌推奨。日本では鮭の卵限定の名称になってしまった)というので、チョウザメの卵であるキャヴィアもあちらではイクラ呼ばわりのはず。なんか変。

シチューを列挙するところで「唐辛子の練り物アリサ」(p.42)とあるけれど、タジンにかけるあれはふつうはハリッサというのでは? おフランス風にhを抜いたのかな。さっきもテレビでホトケの国の人が「ホトトギス」を「オトゥトゥギス」と発音してるのを聴いたばかりだ。原書を見かけたら立ち読みしてみようっと。