舌先の地図が語るもの。

きのう言及した某賞受賞の先生に、お世話になったことがある。物静かで知的な眼をしたひとだ。ほんとうはとてもお茶目で微笑みは温かく、好きなことを話し始めると饒舌なんだけれど。とても嬉しいのでお祝いの葉書を書こうかな。

彼のようにもの書きの仕事や特殊技能職についた知人は何人かいるけれど、みな成人する前からその道を志していた。諦めないことも才能のひとつ、というのは本当かもしれない。

むかしの職場の同僚たちと会って話していた時に思ったことだが、今は話す声が前よりも高くなっている。上ずっているといってもいい。なんだか厭な感じ。ふつうの声で話したい。

今の職場では、いやおうなく年齢や性別を意識させられる。若い女性には価値があるが年寄りに用はなく子持ちにいたってはコピー機と同程度の存在という、旧来の社会的価値観をありありと残しているところなのだ。面と向かっての差別的言辞はないが、セクハラ的言辞はしょっちゅう。いっぺん殺すか貴様とか思っても、顔では笑って受け流すのが大人の作法。いつか夜道で火炎放射器で火ぃつけたろか(笑)

頭数に入らない傍観者ならではの楽しみもある。たとえば、若い同僚に懸命に話しかける営業君の姿は、メスの前で露骨に羽根を広げて震わせる孔雀のようだ。彼女には長い付き合いのラブラブの彼氏がいると知っていて、何度でもやる。アホか。だが面白い。もっとやれ。徒労の苦味を知るがいい。つーか君はバツイチなんだから、すこしは女心の機微を学べよ。

設立が新しく、規模が小さい職場というのは想像していた以上に働きにくい。口の中が荒れて痛む。口内炎が花盛りで、舌先も割れてまだら模様になっている。ストレスに負けてリタイアするか、転職が成功するか。時間とのレースだ。