子どもを産まない理由。

読売新聞に「出産に関する全国意識ネット調査」の結果が載っていた。

児童手当や保育サービスなどをいくら拡充しても「子どもを持つ(増やす)気にならない」とする人が一定割合いることがわかった。その背景には、生活が多忙で、自分らしさと子育てが両立しないという受け止め方があるようだ。

―――読売新聞2006年10月21日より


設問「あなたは国や自治体が、経済支援や保育サービスの拡充、仕事家庭の両立支援等、今ままでの少子化対策を十分に拡充し、負担を軽減していけば、「子どもを持ってもいい」「もう一人増やしてもいい」という気持ちになると思いますか」に対しては、


そう思う 41.7

どちらかといえばそう思う 39.1

どちらかというとそう思わない 11.7

そうは思わない 7.5


で、上記の中で「どちらかというとそう思わない」「そうは思わない」と答えたひとに、現行政策では不十分な理由を複数回答可で尋ねると、


自分らしい人生を過ごしたい 34.1

自分の趣味や時間を大切にしたい 31.0

日々の生活が忙しく、自分のことで精いっぱい 25.1

夫婦の生活を大切にしたい 20.9

年齢、体力、医学的な事情がある 20.9

子育ての苦労ばかり目につく 20.6

親としての自信を持ってからにしたいから 14.3

相手がいない、相手が子どもが欲しくないと考えている 14.3


調査対象は20~39才の男女1500人。

子どもがいると自分の時間や資金が削られるし、なんか苦労しそうで不安、ということか。子どもが既に一人いてそういう「不安意識の壁」を越えた既婚層では、サービスの拡充があればもっと産んでもいいかも、という回答が90%を超えている。

はたして、子育ては↑を克服してもやりたくなるような、すばらしいものか。

自分も現在子育て中の身だが、べつに…何にもすばらしくはない。時間と金がかかる。その通りだ。自分の時間も取れない。うん。ほんとに取れない。

何も反論できない。

上記のような人生を望むなら、子供は単なる障害物にしかならない。

で、苦労したぶん報われるかというとそうでもない。親子関係に、ギブアンドテイクを当てはめるのは難しい。子供やその配偶者の社会的地位や成功に自分を同化させて、子育ての「満足感」を得る親もいるようだが、子育ての基本は「ただ働き」である。

自分は、老後の面倒を見てもらおうとか、保険的な存在として子どもを捉えたことはない。育て終わったらすぐ独立してもらう。こっちの手元に残るのはたぶん「なんだかいろいろあったなあ」という思い出だけ。でもその程度でちょうどいいと思っている。最後に葬ってくれたら(葬式出せとは云わないが、せめて焼いてもらわないといかん)御の字。


で、いざ子どもを産もうにも、現在全国で3000箇所しかそういう施設がないという。


http://dando.exblog.jp/5093994

医療崩壊が産科から始まってしまった[ブログ時評59]

医療側の負担も、相当なものらしい。

「いまはみんな普通に子どもが生まれて当たり前だと思ってるけど、分娩ってのは今も昔もすごくリスキーなものです」と、そちら関係の仕事の人から聞いた。以前、分娩時に産婦が亡くなり、遺族が病院側を医療過誤で訴えた裁判にかかわったときの話を聞かせてくれたときのことだ。

産婦のcause of deathは羊水塞栓症だったとの由。この疾患、こちらの専門家ブログによると、、『羊水塞栓症という疾患がこの世の中に存在し、妊婦であれば誰にでも起こり得る。非常にまれとはいえ、いったんこの疾患が発生すれば母体の救命は現時点ではほとんど不可能である。』そうで、ひらたくいえばこれを発症したら即死。

こういう悪魔の籤を引いてしまったとしかいいようのない事例でも、即刑事裁判なんて、医療側も頭を抱えてしまうだろう。

どうにかならないのかなあ。いろいろ。