幸せの青い鳥。

いつも写真と記事を楽しみに出かけていく三上氏(id:elmikamino)のところで、御本人の野鳥検索法が紹介されていた。ブログにそのまま綴られた文字ではなく、youtubeを利用した映像での説明なのでわかりやすくて面白かった。

http://d.hatena.ne.jp/elmikamino/20070309

自分の場合は、映像と名前を直結させる形で、頭の中から瞬時に読み出すことが多い。それから、想起した名と姿形がきちんと照応するかを確認するために、ネット検索をかける。和名で引っかからなければ、属名、棲息地域、特徴、うろおぼえの英語名、あるいは学名で検索すれば、たいていの生物の画像と情報を拾うことができる。便利な世の中になったものだ。

さて、そんな瞬時読み出しが可能になる理由はただひとつ。

昔、筋金入りの図鑑オタクだったからだ。

事物の想起法は、個人によって違う。三上氏が図鑑をめくる作業を観ていて、興味を引かれたのはそこだ。氏が公開したのは検索手順である。彼の視線が鳥の図像のどこを彷徨い、脳内でどのように再構成し、関連付けているかは当然謎のままだ。

大学時代、一般教養で認知心理学を取っていた友人に「スケジュールの思い浮かべかた」の個人差レポートを見せてもらったことがある。彼女が周囲のさまざまな年齢の人々から集めてきた日時の想起イメージは、板チョコのように日付が整然と並んでいたり、ぐるぐると引き出される巻物式だったり、串団子のようだったりと、あまりに自分の方法と違っていて、びっくりした。日時想起イメージとは、脳に先天的に附属するものであり、誰でも同じ方法で日時を考えるのだと無意識に思いこんでいたのだ。

事物の検索方法も、似たようなものだろう。同じ資料を使って同じ目的物を探し当てたとしても、経過はブラックボックスだ。人の一生あるいは閨事のごとく経過はさまざま、重なるのは始まりと結果のみ。他人と何が違うのかは本人にもわからない。誰かと方法を比べる機会は、学問の対象となる場合を除いては、ほとんどないからだ。

ルリヤが研究し、ボルヘスが取り上げた「記憶の人」の悲劇が興味深いのは、怪物的な記憶力の主の情報処理の秘密を垣間見ることができるからでもある。

自分は、幼稚園に入る前から生きもの(はっきり書けば虫)が好きだったので、家では学研の図鑑ばかり読んでいた。小学校に上がったころには、頭の中に生物系図鑑の複製が出来上がっていた。

最近は寄る年波でだいぶ読み出し速度と精度が怪しくなってきてはいるものの、生物に対する好奇心が衰えないおかげで、なんとか使える状態を保っている。やはり生きものが好きな息子が、同じようにして図鑑を精読して作り上げた超個人的インデックスは、最新版かつ現役なので(彼の愛読図鑑シリーズは小学館NEOだ)よく似たカモ類の識別などには役に立つ。鳥や虫を指してあれは何かと聞くとすぐに答える脚付き図鑑と散歩する道行きは楽しい。

野鳥の動きはすばやいからまずきちんと視認するのが難しい。特徴的な羽根の模様がきちんと見えなければ、脳内検索もかけられない。

しかし、だからこそ、散歩中に珍しい小鳥を見かけて瞬時に同定できたときの喜びは格別だ。その日一日はほわほわ過ごすことができる。去年、近所の公園に続く道でコゲラを見つけたときは、二人で大喜びして帰った。単純なのだ。とても。そうやって小さくてわかりやすい幸せを探しながら、毎日を暮らしている。

三上さん、これからも更新を楽しみにしております。