その名を呼べば。

今夜はきのう書いたパワポの関係で大残業。席を離れる直前に読んだ巡回先の日記で、数日前のことを思い出した。

その日、帰りはわりと早かった。ときどき平積みの漫画をあわただしく買いに寄る小さな本屋の奥まで進んで、文庫の棚の前に立った。ひとつの出版社にひとつの棚などという余裕がないのか、新潮、扶桑からヴィレッジ、知的生き方からフランス書院まで、なにもかもがだらだらと詰め込まれた雑居状態だ。興味をひく文字列を探して背表紙を流し見ていると、はじっこの淡青の背表紙の列に目がとまった。

アンドロイドは電気羊の夢を見るか?

『夢見る宝石』

夏への扉

『銀色の恋人』

そこだけ、ハヤカワだった。一時期はすっかり本屋から消えていたラインナップがきれいにそろっていた。復刊されているのは知っていたが、そうやってきゅっと並べられていると、また雰囲気が違う。むかしのSFやファンタジーには忘れがたい響きのタイトルが多い。そのいずれもが、平凡だが幸福な過去の扉を開く呪文だ。遠い昔、学校帰りに本屋に通ってはSFばかり選んで、時間のゆるすかぎり読んでいた。携帯もパソコンもなかったが似たりよったりの趣味をもつ友人たちに囲まれて、疎外感や淋しさを感じたことはなかった。自覚はないまま、女子校の温室の中で守られて暮らしていた。溜息の出るような懐古の念に胸を刺され、他の本をさがす気は瞬時に失せた。ささやかな、しかし強固な結界を棚の一角に張っているブルーの背表紙を、さらに数秒間眺めてから店をあとにした。


ひとさまのコメント欄で日記を書くわけにいかないのでここに書いた。何かを感じたときに脳内に散る火花は一瞬だが、字にするとじれったいほど長くなる。多忙に紛れて忘れかけた感傷を思い出すきっかけをありがとうございましたCさん。