The Door into Summer

COCOさんのところで話題に上っている「初心者向けの入門SFとは」の件。これを考えるということは、SF者としての自分のルーツをたどるということでもある。私的アルタード・ステーツ(古い映画だ…)みたいで眩暈がするけど楽しいかもw ←仕事はどうした

自分が好きな本はおススメしたくなる。

これはSF者に限らず、本読みならではの親切心、またはお節介心として普遍的なものであるように思う。ネットに綺羅星のごとく散らばる書評サイトの多さがその証拠になるだろうか。

単なる自分用のメモや備忘記録として書評を公開している場合も多いかもしれないが、それでも、多数のひとがそれらを閲覧して読書時の参考にする可能性がまったくないと想定しているわけではないだろうから、未必の故意を認定してよいと思う。

いっぽう、自分にとって大切なものは公開しないという習性の持ち主は虫屋に多い。というのは大切なコレクションを同好の士に見せたら最後、「これをくれ」「あれがほしい」、あるいはやっかみ半分の「おまえのコレクションはたいしたことない」「おまえの趣味はひどい」となって、コレクションとアイデンティティの両方の危機に直結する危険性があるからだ。このまえ、ここでも引いたヘッセの『クジャクヤママユ』が良い例で、あれは中学生の話だが、ヲトナになってもレベルは大して変わらないらしい。これは知り合いの虫の達人(要するに経験者)に聞いたからたぶん本当。ま、自分自身、趣味は人とは分かち合えないものだと思っているので、ふだんは虫屋属性のほうが勝っているのかも。*1

さて、初心者向けのSFとして必ず名が挙がるのが、ハインラインの『夏への扉』である。

猫が好きならだいじょうぶ。ドゾー。

夏への扉 (ハヤカワ文庫 SF (345))

夏への扉 (ハヤカワ文庫 SF (345))

…ってこれで終わったらぜんぜん意味がないのだが、これについて書き出すと、ピートがピートが、とうわごとを言いながら赤面してどこかに走り去ってしまいそうになるので自重。

十代の頃の夏休みの記憶と、この本を読み終えたときの幸福感がオーバーラップして、とても素面では語れないのだ。今読んだらどんなふうに感じるのか興味はあるが、たぶん読むことはしない。そう、自分にとってはあの本そのものが、夏への扉なのだ。二度と返らない若き日々の数々のトホホを封じた、素朴で懐かしい手ざわりの扉。冷静になれるわけがない。あああ~っ(逃)

SFを読まないひとたちが何を敬遠しているのか、いまひとつクリアに想像できない。設定が難しいから? 絵空事っぽくてばかばかしいから? スターウォーズスパイダーマンの映画が楽しいと思うのなら、素地はあると思うんだけれど。

マイコーコーというか、脳内プロセッサのいちばん基礎のところがSF者仕様に切り替わってからもう何十年経っているのやら…。

*1:運動スポーツ系については多数の中での社会活動と単独の自己鍛練に二分化して考える。後者は趣味と呼びうるが、前者はコミュニケーションの手段であって趣味の定義には含まれないものと認識。