翻訳いろいろ。

昼ともいえない時間に昼食を買いに出て、ついでに『The Conjuror'S Bird』を買ってきた。あぶなく『ゴーレム100』を買いそうになって、とっとと危険地帯を離脱。

はじまりはこんなぐあいだ。

それは木曜日の夜だった。僕は遅くまで作業して、死んだフクロウの頭骨を抜き取ろうとしていた。外は十二月だというのに、作業台に向かっている僕の指はランプの熱で汗ばんでいた。これは工程全体を通じて、いちばん難易度の高い作業で…

主人公の剥製師の詳細はまだ不明なのだが、とりあえず「僕」にしてみた。

実はふつうの小説の訳し方はわからない。流し読み=意味だけを吸い上げるのには馴れているが、こんなに短い文でさえ、きちんとした和文にするのはむずかしい。言葉や語順にすごく迷う。

社内文書や技術マニュアルなどを扱う実務系と、いわゆる物語を訳す文芸翻訳とは、毛色がまったく違う代物だ。IT系の翻訳では、文体や用語、記号の使い方を指定したクライアントのルールブック「スタイルガイド」を聖書のごとく奉る。これがないと何百ページもあるマニュアル内の書式がばらばらになってしまう。総計十数万ワードを超えるファイル群をあとからぜんぶ訂正なんてことはコスト的にも納期的にも不可能なので、カタカナ複合語を分けるのに中黒(「・」のこと)を使うか使わないか、括弧に「」を使うのか、[]を使うのか、山のようにある細かなルールを把握してから仕事にとりかかる。それは基礎中の基礎だ。

しかし、文芸にはそれがない。原文を味わいながら、書かれていない部分を読み取り、文体を選び、雰囲気と言葉遣いを整えていく。どちらがいいとか優れているとかいうのではなく、実務翻訳とはまったく違う努力を求められる作業だ。文芸翻訳家さんたちは、頭の中に独自のスタイルガイドがあるんだろうか。亡くなられた浅羽女史みたいに、訳文をひとめ見てすぐに誰が訳したわかる場合は、とくに強くそんなことを考える。