『ウェブ時代をゆく』とタロット。

きのうのつづきでなんとなく、実在した魔術師A・クロウリーのことを調べていた。今日は彼が亡くなった日らしい。生きてしゃべっている映像を見たことがないなと思ってyoutubeに行ったらネタがいろいろそろっているようだ。うれしいけど恐ろしい。

彼がつくった有名なタロットカード、「トート・タロー」はうちにもある。普段使いのものと細部がいろいろ違っているので咄嗟の解釈が難しくて、棚に入れっぱなしで使ったことがない。『力 Strength』が『欲望 Lust』、『審判 Judgement』が『永劫 Aeon』など名前の変更が多く、イメージが湧きにくいのだ。

ふつうよりすこし大きめのサイズで、鮮やかな色使いでくっきり描かれたイラストに威圧感があるあのカードがきちんと使えたらいいなあとも思うが、所詮は道具なので、使いやすくてなじみのある愛用のカードから乗り換えられないでいる。

そうか、自分にはタロットカードを使って仕事をするという選択肢もあるのか、と考えたのは、先日、梅田望夫氏の『ウェブ時代をゆく』を読んだときのことだ。

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

読んでいる間中、いろいろなことを考えさせられた本だった。

ネットにたいしては常に、気を抜くと背中から刺される歓楽街を歩くような荒涼とした印象を抱いているので*1 、ネットを通じた自己実現を説く彼のオプティミスティックな話の展開に心慰められた。マッチ売りの少女が灯す火に見入るような心細い夢心地というか、今はまだ小さいこの火がもっと明るく、たくさんのひとたちの心に燃え上がってくれたらいいと思った。

ハリー・ポッターの懐かしい第一作に出てきた「みぞの鏡 The Mirror of Erised」のように覗く者の願いを映すのがネットの特性だ。*2 不安だからと下ばかり見ていては空に星が輝いているのは見えない。

この本の中には、自分のなかの「好き」「やりたい」の志向性を定義する方法論として「ロールモデル思考」が出てくる。

ただ「誰かみたいになりたい」「こんな職業につきたい」という単純な願望から一歩進み、自分の志向性をより細かく定義していくプロセスである。

好きなひとやあこがれた存在の生き方をそのまま真似るのではなく、そのどこに惹かれたかを抽出して、自分の「好き」をくっきりと浮き彫りにしていく作業を繰り返していけば、システマティックに目指すところにたどり着けるということらしい。

この年になると、仕事をするにしてもいろいろ制約が多い。しかし働いていれば、仕事に対する向き不向き、どういう環境の中で働くと効率が上がるのかもおのずとわかってくる。そういう視点からこれまでのパターンを考えてみると、

(1) 「そのジャンルの知識を得ることに楽しみを感じられる」

(2) 「専門性が高い」

(3) 「人と接する機会が適宜あるが営業職ではない」

(4) 「経験を積むほど熟練度が上がる」

仕事がいちばん働きやすく、モチベーションの低下も防ぐことが出来たように思う。

夏までやっていた翻訳の仕事は、ジャンルによっては(1)(3)が満たされない場合がある。また職場の状況によって(4)も難しいことがある。しかし趣味として昔から続けてきたタロット占いは(1)(2)(3)(4)のいずれの条件からも外れない。よって、上に書いたようなことを考えてしまったりするわけだ。実際に仕事にするのはとても難しいし(固定客をつかむまでは営業で走りまわらないといけない)、個人的な信条に基づくためらいもあるので実現する可能性はとても低いのだが。

うーん、でも、以前に占ってもらったとき、60歳から80歳まで仕事つきまくりと云われたっけ。そんな年までばりばり活躍できるのは占い屋くらいのような気がするな(笑)

*1:しかしところどころにほっとできるいつものお店があって、そこでぬくぬく茶飲み話、というのが巡回先のイメージ

*2:「すつうを みぞの のろここ のたなあ くなはで おか のたなあ はしたわ」