Heaven helps those who helps themselves.

午前中はずっと、長文エントリを投下したりしているあいだにすっかり溜まってしまった息子の塾のネタを片付けていた。

重なったプリントをそろえていて、塾から配布された合格体験記がはさまっているのを見つけた。生徒本人や親による受験・合格体験の手記を集めた薄い冊子で、今年の二月から三月にかけて幾度か配られたうちの一冊だ。最近になって、しまっておいた棚から息子が次々と取り出しては熟読していた(本人曰く「イメージトレーニング」)から、こんなところにまぎれこんだのだろう。

もらった当時に一度は目を通していたが、ひさしぶりにぱらぱらめくってみた。この背水の陣の時期にならないとぴんとこない状況や内容が詳細につづられている。片付けの手を止めて読み進めるうちに、あるページに刷られた保護者の名前が目に入った。

うっと思った。前に読んだときはぜんぜん気づかなかったそれは、同じ塾の別校舎に子供を通わせていた知人の名だった。

そこの息子くんは、ほうぼうにある校舎のなかでも優秀な子供が集うといわれる教室で入室時から受験直前まで最上位クラスをキープしていたらしい。彼の志望校合格を知ったのは知人のブログを通じてのことだ。どことはもちろん書いていなかったが、記述から、かなりの難関校だろうと見当はついた。

不特定多数向けのブログと異なり、合格体験記は内部の塾生向けの資料なので、生徒が合格した学校名がぜんぶ書かれている。受験期終了後ほぼ一年を経て知ることになった彼の進学先には納得した。受験生の親なら誰でも夢見る、すばらしい結果だった。

文章を書き慣れた知人らしく丁寧な文体でつづられた体験記を読みながら、去年の夏のことを思い返した。

びっくりするような場所でたまたま行き会った知人は、開口一番「受験させるなら最上位のクラスにいないとお話にならない」とさらりといった。

では、最上位クラスなど入ったこともないうちの息子はいったいどうなるのだろうと思ったが、口には出さなかった。

むこうに悪気はなかった。それはわかっていた。たぶんうちの息子も最上位クラスとかそれくらいにはいるだろうと買いかぶってくれての発言だったと思う。難関校を受験するなら最上位クラスでないとどうしようもない、それも真実だろう。知人に幻滅したわけでもない。あっさりと明朗な性格で優秀な元同僚だ。よく昼を一緒に食べて、仲も良いほうだった。

だがそれでも、不安定な足元を突然すくわれて、崖から突き落された驚きと悲しみ、やがて生まれた重い諦めをまったくなかったものとすることはできなかった。恨みも妬みもなく、残された一撃の痕だけが長く疼いた。自分のことならたいていのことは笑って流せるが、不本意ながら、親というしちめんどくさい立場になるとそういう類の執念深さから自由ではいられないようだ。

塾の最上位クラスにはついに上がることがなかった息子の受験が、どういう結果に終わるかはまったくわからない。知人の言葉を証明することになるかもしれないし、そうではないかもしれない。まだ夏休みに等しい長さが受験本番までに残されている。さいごのがんばりでまだ結果を変えられるこの時期、年末年始も関係なく彼らは塾に通う。

自分なら、これから受験をスタートするひとたちにはこういうだろう。

さいごまで勝負はわからないのだから、途中の道筋がどんなに悪くても、粘り強く志望校をめざしたらいい。悔いを残さないように、気楽に、けれど真剣に。

Don't worry, be happy.