虫の脚、鳥の羽、活字のシルエット。

三上氏のところで活字に関する興味深いエントリを読んで、思い出したことを書いておく。

三十字くらいずつ明朝体ばかり並べても全部区別できるような目が、デザイナーが書体選択するうえでは必要なんだよ。そういう目を持った人は、ほとんどいない。身につけるには、見る量を増やす、それに尽きると思うよ。見るものは何だって関係ない。漫画だって新聞だって、何だって量のうち。とにかく量を見る。そうすれば、膨大な並列的情報が目の前にあるわけだから、書体を見分けられる目も自ずと養われる。

本当のことを言うと、俺は『原色日本鳥類図鑑』という一冊の図鑑本から始まったんだよ。小学一年生の時に親に「クリスマスプレゼントに何をもらいたい?」と聞かれて、「『原色日本鳥類図鑑』という八五〇円の本が欲しい」と言ったんだ。これが、当時では信じられないほどすさまじく工芸的な工業技術で、本物の標本通りの色に印刷されていた。印刷技術的にいっても、すごい本だった。しかも小学一年生というのは記憶力の塊ですよ。すごいなあって、羽根の形は細部まで見る、説明文は熟読する。読めない漢字があれば調べる。それを延々とやっていたわけ。そして暖かくなったら昆虫網を持ってその辺を走り回った。それが、俺の原点なんだよ。(087頁)

絶対文字感と真性活字中毒

http://d.hatena.ne.jp/elmikamino/20080314/1205493740

『文字本』という書物からの引用だそうだ。面白そうなので検討本に追加。

「見る量を増やす」については心当たりがある。

むかし、メーカーの広報部に勤めていたころ、毎朝さまざまな新聞に目を通していた。自社から流したニュースや業界関係のニュースを探して切り抜き、それをコピーして、遅くとも昼過ぎまでにはファックスで支社に流すのだ。

一般紙から業界紙まで、十数種類の新聞を部員皆で手分けして読み、切り抜きには必ず掲載紙と日付、朝刊夕刊どちらであるかを鉛筆書きしておく。それらを台紙に貼り合わせて、紙名のはんこをそばに捺してから、鉛筆書きは消してしまう。ときどき紙名の書き込みを忘れた切り抜きがあると、読んで切った人間を探して紙名と日付を問いただして、と大変な手間がかかるので、皆それだけはやらないようにと気を遣っていた。土日明け、連休明けだと新聞を読むだけで午前中は優に終わってしまうほどの量だったのだ。

しかし、作業に加わって一年経たないうちに、切り抜かれた記事がどの新聞から拾われたものか、だいたい見分けがつくようになった。いちばん活字の形が似ているのは朝日と読売だったが、それでも、練達の同僚はそれを見分けることができた。そのうち自分も、通勤の電車内で人々が広げている新聞を一瞬流し見ただけで紙名を知ることができるようになった。各新聞の日替わりの紙面構成、一面からラテ面までの流れ、そして活字の形と並びは、くっきりと眼に刻まれていた。もし新聞紙が細長くたたまれていても(混雑した電車でそうやって新聞を読むサラリーマン氏は多い)、記事を数行見ればわかったから、慣れというのは面白い。

趣味道楽に似た楽しい仕事だった。広報を離れてしばらくは、なじんだ各紙のコラムや文化面、書評欄が気になってしかたがなかった。

自分も幼稚園から小学校にかけて、生物の図鑑をめくっては「羽根の形は細部まで見る、説明文は熟読する。読めない漢字があれば調べる」をかなりやったくちなので、そういう形状弁別の視覚的訓練が役に立っていたのだろうか。

絶対文字感というにはほど遠いけれど、むかしそういうこともあった、ということで。