いきものの時間。

あああ、暑い。子供はクラブの練習試合(の応援。一年は気楽でいいな)で、家族も出かけた。猫は涼しい玄関で寝ている。

外に行って、メダカのオトナ組がいる鉢から回収した卵と稚魚六匹を庭の睡蓮鉢に放してきた。一晩紙コップに泊まった彼らを大きな鉢の水の低温に慣らしてから、一匹ずつリリース。コップより広くて深いけどがんばれよ。

この鉢に植わっているのはシラサギスゲと睡蓮、生き物はミジンコなどの微生物だけだ。メダカを捕食するようなものはいない。*1 ここでちびたちがうまく育っていくようなら、自室のプラケース幼稚園の子たちも順次こちらに移していく。卵がうまく孵れば計30匹くらいにはなりそうなので、広いスペースが必要なのだ。

友達のメダカたちと水生植物が元気になると、そのぶん、かれらを預けていった彼女のところにもそのパワーが届く気がしてならない。

いきものは本来、生きること、在ることに悩まない。無心に、その日を生きていく。いや、一日という区切りもないのだろう。一瞬一瞬が無限に連なっていく時間を、過去も未来もない今を、燃やし尽くすように生きる。

自分自身を含む誰かからの承認や肯定を必要としないその力強さが、彼女の支えになりますように。

*1:いない、はず。自分の目が節穴の可能性はある。でもこの鉢を設置してからはまだ日が浅くて、トンボが卵を産むほど経っていない。