すきとおったひと。

Repro

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Jazztronikの新譜を聴いている。

来年公開予定の映画『宮城野』のテーマが含まれている。曲は気に入ったけれど、写楽と女郎とハウス系、どんな感じに絡むのだろう。

映画では、毬谷友子氏が、舞台版の当たり役でもあった宮城野役を演じるという。

はるかむかし、友達に誘われて観にいった野田秀樹氏の『贋作・桜の森の満開の下』で、夜長姫役だった彼女を見た。

友達と並んで座ったのが、最前列のいちばん端という、いいんだかわるいんだかわからないところだった。が、そこに座っていたおかげで、劇の途中、舞台の袖(つまり目の前)に腰掛けた夜長姫に、「ねぇ?」とまっすぐに見つめられて、同意を求められることになった。公演のたびにその席に座った観客がそういう目に遭ったのだろうが、こちらとしては一回限り、あまりに突然で、妖精に話しかけられたようなドキドキ感を味わった。

夢のように美しい、そしてなんと人間離れした表情をみせる女優さんだろうと思ったものだ。

かたわらに夜長ヒメがいた。長者の頭にシラガが生えそめたころにようやく生れた一粒種だから、一夜ごとに二握りの黄金を百夜にかけてしぼらせ、したたる露をあつめて産湯をつかわせたと云われていた。その露がしみたために、ヒメの身体は生れながらに光りかがやき、黄金の香りがすると云われていた。

 オレは一心不乱にヒメを見つめなければならないと思った。なぜなら、親方が常にこう言いきかせていたからだ。

「珍しい人や物に出会ったときは目を放すな。オレの師匠がそう云っていた。そして、師匠はそのまた師匠にそう云われ、そのまた師匠のそのまた師匠のまたまた昔の大昔の大親の師匠の代から順くりにそう云われてきたのだぞ。大蛇に足をかまれても、目を放すな」

 だからオレは夜長ヒメを見つめた。オレは小心のせいか、覚悟をきめてかからなければ人の顔を見つめることができなかった。しかし、気おくれをジッと押えて、見つめているうちに次第に平静にかえる満足を感じたとき、オレは親方の教訓の重大な意味が分ったような気がするのだった。のしかかるように見つめ伏せてはダメだ。その人やその物とともに、ひと色の水のようにすきとおらなければならないのだ。


青空文庫---坂口安吾「夜長姫と耳男」より

小説や漫画もいいけれど、たまには舞台もいいかも。