英知尽くし言葉の越境

■読売新聞2008年11月11日朝刊

緩話急題 文化部・尾崎真理子

翻訳者の戦い

<父は50歳になろうとしており、英語は道具というよりは敵だった>

 旧ソ連ラトビア出身の新鋭D・ベズモーズギスの短編「マッサージ療法士ロマン・バーマン」は、自伝的な作品だ。祖国を離れ、北米の町に根を下ろそうとしても、言葉の壁に阻まれて日々、みじめな思いにくれる両親。その姿が9歳の少年の視点から再現されている。だが今、父の敵だった英語を洗練し、活性化させているのは、この作者のような体験を経た、越境者たちだろう。

 各国の現代文学を翻訳紹介する新潮クレスト・ブックスが、創刊10年を機に既刊からベスト10を編んだ短編集『記憶に残っていること』(堀江敏幸編)には、ベズモーズギスら、4人の移民作家の仕事が収められている。彼らは頭の中で母語から異国語へと翻訳しながら創作するわけで、その困難が言葉を鍛えたに違いない。


 各国語を日本語に移す翻訳者にも、鋭利な感覚の人が目立つ。その一人、鴻巣友季子さんは、中国出身の女性作家が移住先のオランダ語で書いた小説を、英訳から日本語に訳すという、なんとも複雑な仕事を進めながら、思いがけない発見をした。物語は<ことばの壁をひとつ超えるごとに、新たな重層性と豊かさを身につける>(『カーヴの墨の本棚』)と。

 不思議なことだが、何重にも訳されるうち、原文の意味が損なわれるどころか、細部の輝きが増すことがあると鴻巣さん。「伝わる可能性が低いものほど、翻訳されなければならない、重要な言葉です」とも語る。


 人や物と共に言語も、世界中を移動するグローバルな時代。文学作品も、まずは英語という”文化の貨幣”に交換されなければ、海外で流通することは難しい。さらに、インターネットの気楽なおしゃべりではない、色あせない英知の言葉を英語の図書館(データベース)が蓄えていかなければ、ほかの言語の未来まで、閉ざされてしまいかねない。翻訳者が果たす文化的な役割は、ますます重みを増しているが、そんな中、現代詩を英語にする難題に取り組み、評価を得た頼もしい日本人も現れた。平出隆氏の名詩集『胡桃の戦意のために』(82年刊)の英訳がこのほど米PEN翻訳助成基金賞を受け、このほど日英語の併録版が出版されたのだ。

 訳者の中保(なかやす)佐和子さん(33)は日本で生まれ、アメリカで大学院を卒業後、現在は中国・上海で暮らす。胡桃(くるみ)、包み(くるみ)がwalnut、wrapping、enclosureに訳し分けられるのは序の口。擬古文、漢字、現代の俗語(スラング)がまぜ合わされた原典に、訳者は語彙と洞察の限りを尽くす。

  二つの言語で同じ詩を交互に読みながら夢想した。英語の網(ネット)に包まれた地球に立ち向かう、無数の小さな胡桃たちを。

 日本語も、移民作家の言葉も英語と共に生き延びるために、翻訳に死力を尽くす人間の頭脳=胡桃たちの戦いは続く。スリリングな言葉の越境を、こんなに楽しめる時代もかつてない。

先日の水村氏の著作紹介を書いていた読売文芸部の記者氏のコラム。

クレスト・ブックス+堀江氏では読まないわけにはいかないなあ。探してみよう。