類友を探せ。

職場の美女が同じ大学の出身であることが判明。いろいろ嬉しい。詳細のちほど。

職場にはたくさんの派遣社員の女性がいる。週二日~五日までそれぞれ出社する日数は違うが全員がヒトヅマで、たいてい保育園児~高校生の子供がいるという点は共通している。外見や話し方が完全にはおばはん化しておらず、といってもう若くはない、「おばおねえさんOL」ともいうべき集団である。

昼休みは、そういう派遣仲間と社員食堂の一角で弁当をつつきながら(居酒屋か)歓談するのが日々の気晴らしとなっている。食堂に置かれたテレビのニュースを見ながらの時事、天気、子供、夫と家事、というように話題になるネタはいつも決まっている。そんな肩のこらない、蟹のあぶくのような会話を交わすおばおねえさんズの中にひとりだけ、話す内容に「おや?」と思うような語彙と知識の断片が混ざりこむひとがいて、ずっと気になっていた。

自分で云うのもなんだが、初めての場所でも気持ちや趣味が近いひと、同類を見つけ出すのはわりと得意だ。

ここまでアンテナにひっかかってくるというのはなんだろう、と話を聴きながら毎日考えていた。本人の話から、バックグラウンドのスペックは少しずつ拾えるのだが、いきなりあれこれ切り込むのも失礼だ。ゆっくり話せる機会があったらいいのになあと思う反面、会って数日の、面識もほとんどない相手に対して、どうしてそんなふうに感じるのかも、実は理解できていなかった。こう書くとまるで道ならぬ恋に身を投じる前ふりのようだが、むこうもこちらも妙齢のヒトヅマ(ツッコミ禁止)なので誤解しないようにw 要は最近めずらしい「このひとと友達になりたいなあ」という積極的な興味のあらわれだったのだと思う。

さて。今日の昼のお題は、なにがどうなったのか、裁判員制度だった。

ほかの女性たちは「子供がいるのに時間空けられないから」「刑罰のことはわからないからみんな死刑にしちゃいそうw」という形で制度反対の立場を表明。そして当該の彼女は、学生時代にとったいくつかの講義で見聞きしたという例を挙げて、反対だと説明した。

その講義名で、ぴんと来た。今でこそ人口に膾炙した学問だが、当時はわりとレアだったであろうその講義を、自分も好奇心から受けたことがあった。そして彼女が挙げたその二つの特殊な講義を並べて取れるところは、たぶん、ある大学のある学部しかない。

食堂からオフィスに帰る途中で、となりを歩く彼女に、その講義を教えていた講師の名を尋ねてみた。彼女はとまどいながらも答えてくれた。そのあとにもうすこし質問を追加すると、彼女は大きな目をさらに大きく見開いた。

「ええー、こんなところで大学のひとに会うと思わなかった!」

同窓どころか出身学部まで一緒だったのだ(笑)

二学年上の彼女は、昼の話から推察していたとおりの帰国子女で、英語のヒアリングは問題ないのだが、今は翻訳をやりたくて勉強しているという。そこまで話が合うとは思っていなかったのでまたびっくり。今度ゆっくり話そうねということになった。

同じ大学出身者を見つけて、どうしてこんなに嬉しいのか?

それは自分もよくわからない。仲間を見つけて群れるのが好きなわけでもないし、あの大学独特の、度を越えた身内びいきというか、仲間意識にはずっと気後れを感じていたはずだった。

だが、学生時代を同じ環境のなかで過ごしている相手とは、いろいろと難しいこと抜きで話が通じるのも確かだ。

むかしは、あらゆる世代の同窓生が集まる会で、年老いた卒業生たちが嬉しげに肩を組んで校歌を歌っているのが不思議でしかたがなかった。出てから何十年も経っているだろうに何故そんなに大学が好きなんだろう、と。

その理由がやっと理解できた気がする。

つまり、年を取ったんだな、自分も。やれやれ(笑)

帰宅したら、さらに大先輩の手になる原稿が某氏から送られてきていた。こういうのもセレンディピティの一種なんだろうか。