梅田シンパという勘違い。

横浜の今度の集まりは、梅田さんのファンの集まりみたいに見える、と先週会った友人からそう云われたのが意外だった。

そうか、やっぱりなあ、とも思った。でも…それはたぶんすこし違う。すくなくとも自分にとっては。

またあとで。仕事の時間だ。とっかかりだけでも書いておくと、多忙を理由に書くことから逃げられなくなるので(笑)

さて。さまざまなことが重なっていつになく消耗した月曜日だった。朝方に投げ込んでおいた上記の文章のおかげでここに戻ってこられた。中山さんからもお言葉をいただいた。すでにとろとろと柔らかい眠気がきざしているが、書き終えるまではがんばろう。

先にお答えすると、中山さんが書かれたというそのコメントを目にはしていないのだ。家から駅まで歩く途中で上記をふと思いついて、時間の許すところまで書いて、投稿して、そのまま仕事に入った。昼休みになってコメントがついているのに気づいたがレスをつける時間もないまま、午後の阿鼻叫喚にまっさかさまに墜ちていった。

シュンポは、梅田氏の著作や主義主張を頂点と捉えてその足下にかしづくための集まりではないと、自分は思っている。シンパつまり信奉者といわれると、非常な違和感を覚えるのはそのためだ。

氏が唱える言葉は魅力的だし、肯ける部分も多い。だが、彼がいうままに、たとえば適切なロールモデルを設定し、道なき道を求めてけものみちに分け入っていくことは、誰にでもできることではない。

先日fuzzy氏*1のところでも話題に出たように、横並びの意識が強い組織に入ってしまえば、さまざまな形で自分を磨くことは周囲との不均衡を生み出し、ねたみそねみを買うことにもなってしまう。出る杭はがんがん打たれるのが日本の会社だ。一日の大部分の時間を過ごす職場のそんなネガティヴな雰囲気を跳ね返し、着々と準備を進められる若いひとは少ないだろう。密林でも氷原でも自分で装備を整えてちゃくちゃくと歩いていけるのなら心配ない。だが、梅田氏の本を読んで、喜んで一歩踏み出そうとして、そこでその足のおろし先に迷って立ち止まってしまって、そのままになってしまうひとのほうが圧倒的に多いのではないか?

仕事のポーラースターたる一等星ウメダが輝いている方角ははてしなく遠く、そこまでの道は曲がりくねって暗い。その迷路を、すこしでも経験の灯で照らせたら、というのがシュンポに参加なさる年嵩の諸氏の想いではなかろうか。それこそ勘違いだったら申し訳ないが。

世の中、梅田氏の言葉にすぐ応えて羽ばたける天使の若武者ばかりではない。平凡な地上の王国に暮らす若者に、まず背中の翼に気づいてもらうのが一歩。飛び方は自分で会得するものだから教えられないけれど、翼の育て方使い方に関するアドバイスなら、シュンポには一家言あるつわものがそろっている(笑)平生ならば集団でつるむのが苦手な人が多いのもおかしい。自分もそのひとりだが、今回ばかりは主謀者のみなさんとゆるい繋がりを作るのにためらいはないw みんなばらばらの方向を向いたまま、ひとつの輪をつくろうとしている。等軸結晶のように美しくはないが、いろいろなfacetを持っている分、複雑な輝きを見せるだろう。

会議の開催まで、残すところあと数日。参加するのに必要なのは名札とポジションペーパーと好奇心。

はじめはふらふらと、でもいずれは確実に長く高く、アクロバティックに飛べる一騎当千の若武者たちをあたたかくはぐくみ、送り出せる集まりになるようにと、心から願っている。

*1:不参加とのこと、残念です。お身体大切に。