歩いて帰った。

揺れ始めたときは、職場に居た。平和な金曜の午後だった。

長時間ゆっくりと横にひっぱられるような揺れは、数日前の地震時にも経験していたので、はじめは「なんだ、またか」と思った。恐怖よりも仕事に集中できない苛立ちを感じた。が、しかたがない。揺れを無視して卓上に放置してあるiPhoneを取り上げて、twitterを立ち上げた。スクロールしてもしても延々と「地震だ」「揺れた」の書き込みが並んでいるのを見て、自分も書き込んだ。

ゆれすぎ。気持ち悪くなった…

2:57 PM Mar 11th Twitter for iPhone

書き込んでいるあいだもゆっくりと床は揺れていた。床に足をつけているのがいけないのかと思い、脚を曲げて椅子に横座りしてみたりしたがどうにも酔いそうになる。あたりまえだ。そのころになると、フロア中が騒然としはじめた。窓外では周囲のビルや街灯が派手に揺れている。そのうち、誰からともなく同僚たちがヤドカリのようにするするとデスクの下に引っ込み始めたので、自分もそれにならった。

揺れは強弱をともなって長く長く続いた。

幾度か館内放送がかかって、ビル倒壊の心配はないということ、またエレベーターの使用中止を伝えた。

船酔いみたいな感じ。オフィスのエレベーター使用不可、空調は念のため停止。帰宅困難者の恐怖が現実になり始めた。定時までに電車動いたとしても余震怖くて乗りたくない。

3:37 PM Mar 11th Twitter for iPhone

揺れは、やがておさまったように思えた。

気分が悪くなったうえにはなはだしく集中力が殺がれていたが、その日の分の仕事はとにかく終わらせた。

ネットで調べると、電車は当然すべてストップ。動くめどは立たない。携帯のワンセグNHKニュースを確認している同僚の手元を覗くと、震源地方面の惨状を伝えるニュースが始まっていた。

グループリーダーや周囲と相談して、同じ横浜方面に帰る同僚六人で五時に職場を出た。多摩川を徒歩で渡るところまではパーティを組んで歩き、あとは住まいの場所に応じて順次散っていく計画である。二十代が二人、三十代以上が四人。これだけ居れば女性だけでも怖くないだろう。地図はgoogleからひっぱってきた。

エレベーターが使えないので非常階段に回った。階段の端に細かく白い塵が落ちていた。はっとして見上げると、白い壁に亀裂が幾条も走っていた。フロアを出て初めて目にした地震の残した痕だった。

電車動かんので、長征に出た。何時間歩くのか。

5:29 PM Mar 11th Twitter for iPhone

街をいくつも過ぎるうちに、自分たちと同じような徒歩帰宅者たちがどんどん増えて、黒くうねる波となっていく。避難時の経路は混みあうと聞いていたが本当なのだなと変なところで感心した。

携帯は揺れの直後から通じなくなっていた。自宅にも通じない。twitterに書き込みをすれば、息子が見るかもしれないと思って、電池切れを起こさないように気をつけながら書き込むことにした。同僚の一人もAndroid携帯で自分のタイムラインを追っては情報収集していた。根っからの理系で年上の彼女の冷静沈着さは頼もしかった。

住宅街を歩いて抜けたあと、燃料補給とお手洗い休憩もかねて、東急目黒線武蔵小山駅商店街のカフェに入った。店内はもわっとするほど暖かくて混んでいた。陽は完全に落ちて、風が冷たくなっていたので、コートを脱いで席に座るとほっとした。

電車こそ動いていないが、道中火事も事故も目にすることはなく、窓ガラスが割れているわけでも道が地割れしているわけでもなくて、休もうと思えばこうして暖かくて通常営業しているカフェでゆっくりできるのだから恵まれている、と皆と話しあった。

そこまではgoogleが示した最短距離地図に従って歩いたのだが、すっかり暗くなってしまうと細い路は間違えやすいし危険だ。大きな道を行くことになった。

道のり半ばでひとやすみ。これからまた歩く…と書いたとたんに余震か。いやまったく。大通りを歩くことにしよう。

7:23 PM Mar 11th Twitter for iPhone

パルム商店街のアーケードはこうこうと明るくて、地震があったとは思えない日常感が漂っていた。

そこを抜けて大きな国道に出て、ふたたび帰宅者の列に合流した。

車道は完全に渋滞して、ぴたりと動かない。ときどき居るバスは、ぎっちり中身が詰まっている。列を成すヘッドライトがまぶしかった。しかし、ふしぎとクラクションは聞かなかった。歩いていくひとたちもあまり喋らない。

われわれは、歩き出したときからにぎやかにおしゃべりを続けていた。ふだん顔は知っていても仕事が違っていて話す機会はないひとばかりだったので、話を聞くのは楽しかった。同僚の一人は、地震時に上のフロアに資料を取りに行っていた。窓からこわごわと見下ろすと、高速道路もビルもすさまじく波打っていたそうだ。「うちのビルも、外から見るとあんなふうだったんでしょうね」と云っていた。

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多摩川にかかる丸子橋が見えてきたときは、全員が歓声を上げた。

多摩川を渡る。

8:46 PM Mar 11th Twitpic

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東京と神奈川を分ける川を渡る風はとびきり冷たかった。なにげなく進行方向左を見やったとき、河口の向こうがオレンジ色に明るくなっているのに気付いた。

多摩川渡るときに河口方向遠くに火が見えた。火事か?

8:54 PM Mar 11th Twitter for iPhone

あとで教えていただいたが、千葉の製油所火災の光だったらしい。

このころになると、足が痛くなってきていた。

橋を渡り終えると川崎市だ。街に入ってすぐに、東京側よりもあたりが暗いのに気付いた。停電が起きているのだった。武蔵小杉の巨大マンション群が、空にそびえる黒い墓石のようだった。棟によって灯がついていたりいなかったりする。区画によって、電気が通じているところとそうでないところがくっきりと分かれていた。

停電区画では、道筋の信号、コンビニの電気、自販機がすべて死んでいた。明かりは、街道に並ぶ車の灯と、交通整理をする警官が振る赤い棒だけ。歩道を埋める人波は完全に黒いシルエットと化した。足元が見えなくて、歩道の起伏に幾度もつまずきそうになった。

同僚たちは、ひとり、ふたりと住まいを目指して散っていった。

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途中で通った東横線日吉駅。改札の前で電車が動くのを待つひとたち。

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銀色の球のオブジェの右横には、タクシーを待つ列が出来ていた。街道筋でなければ、タクシーも普通に動くのだろうか。しかしここから乗ろうとは思わなかったのでまた歩き続けた。

さいごには同僚たちとも別れて、街道から離れた。

さきほど帰宅しました。お声がけくださったみなさま、ありがとうございました! 脚が痛くてロボコップみたいに歩いてますが元気です(´Д` )/

11:07 PM Mar 11th Twitter for iPhone

たったひとりのラストスパートですっかりくたびれきって、足を引きずるようにして自宅の階段を上がった。玄関に入ると、息子が「帰ってきた!」と飛びついてきて、でかい犬の仔にじゃれつかれたときのようによろめいてしまった。

あまりに連絡がない/携帯に繋がらないのに焦れて、ふだんは見ないようにしているらしいこちらのtwitterアカウントを確認して、歩いていることを知ったのだそうだ。もくろみは当たったらしい(笑

計五時間半の強制ピクニックだった。

信号や街灯が消えて、渋滞した車のライトがまぶしい街道に沿って、列をなして黙々と歩いていく人々を見て、同僚のひとりは「どこかで見たと思ったけど、この雰囲気って初詣で並んで歩いてくときに似てる」と云った。それくらい静かだった。

2011年3月12日 3:19:33 web

東京であれだけ揺れたのだから震源地の津波はひどいだろうと思っていたが、テレビで観た現実は想像以上だった。亡くなられた方々のご冥福とともに、被災地の傷がすこしでも和らぐ日が来るようにと、心の底から祈りたい。ほんとうに、ひどすぎる。