蕃東国年代記

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長いこと積んであった『果報者ササル』に手をつけた夕方に、西崎憲『蕃東国年代記』(創元推理文庫)が届いた。厚みもほどよく、流れるような文体のおかげもあって、夜更かししてひといきに読了した。

(ここで露語なら動詞「読む」の完了体 прочитать を使うんだろうなと万年学習者っぽい感慨にふけって、一マス休み)

大陸と日本の影響を受けて言葉も社会のぐあいもよく似た、日本海に浮かぶ小国「蕃東国(ばんどん)」を舞台にした短編集であった。日本(作中では倭国)で言えば平安朝を思わせる上古の蕃東の物語の合間に、現代文献の引用(それもむろん作者の創作なのだが)を挿入する、入れ子のような枠組作りも功を奏して、小匣のなかの端整な小宇宙を覗くようで楽しかった。

長く語り継がれて磨かれてきた東西の奇譚・説話と、現代作家による物語。それらを分ける秘密の調味料はいったい何だろう。淡い墨絵に似た蕃東の物語(作中の言葉を踏まえてBandonic tales とでも呼ぼうか)と同じように浮世を離れて霞を踏む境地を目指したはずが、包み紙に現代の脂がべたべた滲む質のよくない生煮えの作り話に堕してしまったものはいくらもある。

優れた物語は、天気管(ストームグラス)のように、たしかに大気中にあるけれど人には感知できない何かを、あえかな結晶として見せてくれる。読者はその風変わりな美を愛でるかわりに、硝子に封じられたことわりに関与することはできない。すぐそこに在るように見えながら、実ははてしなく遠い。その距離感が、古譚や説話にも比する調和をこれらの蕃東の物語に与えているのかもしれない。