『ナルニア国物語 第一章 ライオンと魔女』

友人親子といっしょに吹替版を観てきた。子供は「面白かった!」と大満足。

特殊効果はすばらしく、画面も雄大で美しいのだが、よくもわるくも折り目正しい古典的児童文学の映画化なので、細部にこだわる原作ファンでない大人にはすこし辛いかもしれない。映画版『ハリー・ポッター』シリーズのような、現代的なエグさと暗さを内包したジェットコースターファンタジーを期待すると、たぶん途中で眠くなると思う。


C・S・ルイスによる全七冊の原作のうち、読んだことがあるのは今回映画化された一作目の『ライオンと魔女』のみ。大昔、『指輪物語』に続けて全冊読もうとして挫折した。あまりにキリスト教的な寓意に満ち満ちていて、それが鼻についてどうしても読めなくなってしまった。あのころは長いキリスト教系学校生活を満了したばかりで、そういう雰囲気にけっこううんざりしていたから、なおさら強く反発してしまったのかもしれない。ストーリイにわくわくできる小学生のうちに読んでおくべきだったと、猛烈に後悔したが、あとのまつり。七冊そろって本棚の奥にしまいこんだきりになっていた。

あれからまた十数年が過ぎた。映画も観てイメージしやすくなったことだし、そろそろ大丈夫だろうかと思って二作目の『カスピアン王子のつのぶえ』を出してきた。

カスピアン王子のつのぶえ―ナルニア国ものがたり〈2〉 (岩波少年文庫)

このカバー、持ってるのと違うと思ったら、うちのは二十年前に出た最初のソフトカバー版だった…orz

内容が映画と続いていることもあって数十分で面白く読み終えたが、やはり「いかにも」な問答は目についた。たとえばこういうところ。


「だが、これからどうなるかを、みつけることはだれにでもできる。さあ、これから、みんなのところへ帰って、起こしなさい。そしてみんなに、あんたがふたたびわたしを見たことを話し、みんな目をさまして、わたしについていかなければならないのだというのだよ。そうすればどうなるか? これが、それをみつける、ただ一つのやりかたなのだ。」

「それが、わたしにしてほしいとおっしゃることなんですね」とルーシィが、あえぎながらたずねました。

「そうだ、わが子よ。」とアスラン

「ほかのひとにもあなたが見えるでしょうか?」

「はじめは見えないだろうね。」アスランはこたえました。「ひとによって、だんだん見えるだろう。」

      ―――『カスピアン王子のつのぶえ』(岩波少年文庫瀬田貞二訳より


アスラン=キリストと読み替えるとわかりやすいと思う。

ライオンと魔女』のテーマは「罪と贖罪」だったけれど(「石舞台」はあきらかにキリストが磔刑にかけられたゴルゴタの丘)、『カスピアン…』のテーマは「天国に至る信仰の道は細く険しい」というあたりか。「見える」「見えない」は「信仰に目覚める」かそうでないかの寓意なのかな。しかし今回は思ったよりは「うっ」とこなかったので、続きを順次読んでいくことにしよう。