復讐の寓話。

また監禁発覚。常習犯っぽい。

ご主人様病のひとたちは、女性は「消費」してもよいモノだと思っているようだ。

人のおなかにアイロン当てられるひとが隣人だったらすごく困る。足もとに腹出して転がって寝ている猫を見ながら考えたが、動物にだってそんなことできない。もちろん、畳にも。でもエプロンにはやったことがある。見事に三角形にこげました、ええ。

最近読了した本三冊には共通のテーマがあった。友達から渡された漫画もあるし、何気なく本屋で手に取った文庫本もあって、つまり、内容を知っていて選んだわけではないのに、みごとに三冊ともが、被害者が加害者へ徹底的に復讐する=加害者の存在を抹殺する過程を描いていた。

マンホール 1 (ヤングガンガンコミックス)

そして粛清の扉を (新潮文庫)

重力ピエロ (新潮文庫)


「目には目を、という言葉があるじゃないか」春が言う。

「何とか法典だっけ」

「誰もがあれを、『やられたら、やり返す』と誤って解釈しているけれど、あれは、『目を潰されたら相手の眼を潰すだけにしなさい』『歯を折られたら歯を折るだけにしなさい』っていう過剰報復の禁止を述べているんだ」

「そうだったか」私は、学校で習ったことの大半を覚えていない。

「俺は、刑罰もそれでいいと思う」

「目には目を?」

「加害者は自分のしたことと同じことを、やられるべきなんだ。相手にそのことをやったという事実は間違いないんだから、同じことをされても文句はないはずだ。腕を折った奴は、自分の腕を折られればいい」

「誤って、子供を轢いた人はどうするんだ」

「誤って、車に撥ねられればいいさ」

 冗談まじりの思いつきだと思ったが、春の声には芯のしっかりしたところがあって、私は、まさかこれは本気の提案ではあるまいな、と身構える。

「そうなると、複数の相手に被害を与えた場合はどうするんだ。十人を殺した犯人を十回殺すことはできない」

「十倍苦痛の方法を取るしかないよ」

「なるほど」私は思わず、同意してしまう。

「そして」春はあまり感情も込めずに、背後を通過する車の音に、言葉をまぜるかのように、「レイプ犯は、自分が犯されてみればいいんだ」と続けた。

                   ―――伊坂幸太郎『重力ピエロ』(新潮文庫)


『マンホール』では孫を陵辱して廃人にした加害者に復讐を誓った男が恐ろしい計画を実行に移し(つーか虫が苦手なひとは読まないほうが身のためです)、『そして、粛清の扉を』では娘を暴走族に殺された教師が自分のクラスの不良生徒たちを血祭りに上げ、『重力ピエロ』ではレイプによってこの世に生を受けた青年が自分なりに「筋」を通す姿が描かれている。

実際は、被害者と加害者のあいだには見えない壁がたくさんある。

そのあたりはこちらの本にくわしい。

新書021犯罪被害者 (平凡社新書)

法が作り出した真空地域を走り抜けて、目指すターゲットを調べ尽くし、罠を仕掛け、武器を仕入れて非合法な天誅を下す。現実にはほぼ不可能な行為だから、こうして話のネタとして取り上げられ、また好んで読まれるテーマとなっているのだろうか。

宮部女史の『模倣犯』では、被害者とその遺族たちは犯人に蹂躙されるばかりだった。今の被害者たちは、すくなくとも物語の中では、もう黙っていない。無力でもない。ありとあらゆる策略を企てて、加害者を追い詰めて殺す。そうすることでしか、彼らの傷は癒されないのだ。

もし、子供を傷つけられたら、自分も上記の春と同じように考えるだろう。彼の論理はとても近しく感じられる。

例えば上記のご主人様病患者は、おなかに熱したアイロンをあてられて、皮がめくれるほど頭を棒でぶん殴られると、自分が相手になにをしたかよくわかっていいと思う。うまくやらないと、途中で死ぬかもしれないけど(・∀・)キャー

すくなくとも、死刑と無期懲役のあいだに、シャバに一生戻ってこない終身刑をつくらないと、被害者の遺族の感情が慰撫されることはないんじゃなかろうか。世界的には死刑廃止の方向にあるというけれど、今の日本でそんな話が出たら…暴れるひとがたくさん出そうな気がする。