力士と刺青。

明日は子供の塾のテストなので、復習につきあっているうちに一日が終わった。さわやかな秋の日だったのに。しかし昨日はずっと画面に釘付けになっていたので、少々疲れたのも事実。はやく慣れないと。

no title

冥王星降格の件、アメリカではまだ受け入れられていないらしい。

誰が最初に発見したかでしのぎをけずる世界だから、太陽系唯一の「アメリカによる惑星」がないがしろにされるのは我慢ならんということなのだろうか。

ときどき見に行く画像サイトで、こんなのを見つけた。

Save Pluto 冥王星を救え! 

ここのサイトはphotoshopなどでつくられた美麗/キテレツな画像がたくさん見られて面白い。

Tattooをテーマにした投稿では、美女の肌に流れるような刺青を合成したものにまぎれて、褌姿の相撲取りの背中に派手な刺青を合成したネタがあったりする。

見てみたいひとはBody Shop 9 を選んでみてください。刺激が強いかもしれないので要注意。

お相撲さんたちの惜しげもなくさらされた「空白」の肌(しかも縦横に広いから刺青にはぴったりなんだけれど)を見慣れて当然のものとする日本人にはない発想だ。刺青を入れる職業や身体の部位は個人が属する社会の基準にもとづいている。相撲レスラー=刺青…うーん、考え付かない。というか考えられない。力士の戦いはもとは神様に奉納する神事だったし、そこに刺青はそぐわない…気がする。江戸時代には見えるところに彫る刺青は罪人のしるしだったろうし。実際に、相撲を取るひとたちは刺青を禁止されていると聞いたことがあるが、ほんとだろうか。

刺青は、日本の伝統的価値観では「秘すれば花」の一種といえる。明治時代に禁止令が出たこともあって、そのスジの人々のように全身に彫り物を入れる場合でも、胸の中央から腹部まで垂直に数センチの隙間を空けて彫ることがほとんどだ。これは胸割りといって、着物の前がはだけても見えないようにするための処理。首筋や手首から先、足にも入れない。アメリカやヨーロッパの船員や軍人の見せるための刺青とは根本的に違う。いま、ファッションとしてタトゥーを入れる若いひとたちは、ちら見せできる場所を選ぶようだ。欧米的な価値観に近づいてきているといえる。あんまり陽にさらすと色が褪せてくるらしいけど。

沖縄を含む南西諸島では、手に刻む刺青(針突。ハジチと読む)は成人女性のしるしであると同時に魔よけでもあって、結婚する前に死んでしまった若い女性の手にはわざわざ墨で模様を描いたりもしたらしい。まえに読んだ刺青の本にはそう書いてあった。

話が横滑りしすぎ。でも刺青には興味があるので、そっち系専門誌がまた読んでみたい。買うのに勇気がいるけれど(汗)

今日は池澤夏樹氏の『ハワイイ紀行』第二章の火山の話を息子に読ませた。国語と理科の勉強と称して本を渡したものの、実は単なる親の趣味。キラウエア火山も観にいきたい。軍資金稼がないと…。