住んでいるところの話。

昔書いたネタが出てきたので載せておく。



2002年1月13日(日)

昼、自転車に乗った息子と出かけた。

目指すは、以前バッタとカマキリを見つけた畑である。

住宅街の北のはずれから、畑へと続く土の道に入り込む。深くへこんだ二本の轍の中央に続く枯れ草の帯の上、意気揚々と自転車を漕いでいく息子をゆっくりと追う。

関東平野の冬の常で、今日も空は青い。

思い起こせば、こんな日は、道の真中の水溜りまでもが空を映して、抜けるように青かったものだ。水がたまるような泥道は見かけなくなってしまった。息子の自転車のタイヤも、いつも綺麗だ。厳冬の朝、水溜りに張った氷を叩き割る楽しみも、ない。

このまえこのあたりを通ったときはまだ小さな芽だったコマツナとホウレンソウがずいぶんと大きくなっていた。虫食いだらけの葉が繁茂していたイモ畑は、すでにきれいにならされて、茶色い地面をさらしていた。

更に奥に進むと、薄青の粗い目のネットで覆われた家庭菜園があった。長方形の菜園のアウトラインに沿ってところどころに立てた細い柱でネットを支え、四方と天井すべてをしっかり覆っている。鳥の害を防ぐためだろう。

「あ、羽根だよ」

息子が云うので足元を見た。左手に広がる畑と家庭菜園の間、踏み固められた細い通り道になっているところに敷かれている薄汚れたゴムのシート。その上に淡い灰青の羽根が散らばっていた。それも一枚や二枚ではない。ふわふわと風にゆれる白い綿毛がついた羽が一面に散っていた。ときどき道端に落ちている翼の部分の羽ではなく、体をぴったり覆う短い羽である。腰をかがめてよく見ると、細長く茶色い風切り羽根も混じっていた。

「…ハトだと思うよ」

そう息子に告げた。

「色合いからいって、たぶんキジバト。ドバトはこのあたりにはいないし、ヒヨドリにしては風切り羽根が大きくて長すぎる」

「ふうん。どうしたんだろ。あばれたのかな」と彼。

畑に入る前に、ひなたぼっこ中の太った野良猫を見たのを思い出した。このあたりはわりあいに野良猫が多い。

「猫にやられたんだと思うな」

「なんで?」

「そこ。よく見てごらん」

ネットにいちばん近いゴムシートの端を指差した。

「少しだけ血の痕がある。その、黒っぽいところ。わかる?」

「うん」

「たぶん、この鳥よけネットに突っ込んだか絡んだかして、飛べなくなってるところを猫に襲われたんだと思う」

「でもさ、羽根だけしかないよ。何も残ってないよね」

あたりを見まわす息子は、巨大な猫族であるライオンの、派手な食事の後を想像しているらしい。

「そうだね。でも動物が獲物を食べるときはあまり血の跡を残さないし、ハトくらいのサイズなら、あとには何も残らない。どこかに首や脚くらいは転がってるかもしれないけれど、たぶんここにはない。こんなに開けたところでは野良猫は獲物を食べないから。どこかに持っていったんだと思う。草むらとか隠れ家みたいなところに」

「それってさあ、スイリってやつ?」

息子が真面目な顔で云ったので、つい笑ってしまった。

べつに推理なんてすばらしいシロモノではない。

シートン動物記を愛読したことがあれば、誰でも組み上げられる適当な推論だ。

家庭菜園の主が、作物泥棒の犯行現場を押さえて、強制排除した可能性も数%はあるが、それは云わずにおいた。

今でも動物を見るときは、シートンの書いた物語の主人公を思い出す。かつて愛読した藤原英司氏訳の集英社シートン全集は本棚に大切にしまってある。

そしてその同じ本棚には、故・星野道夫氏の本が並んでいる。シートンが開いてくれた自然界の驚異の扉をおずおずとくぐった自分をさらに先へと案内してくれたのが星野氏だった。

かれら二人がもたらした喜びは心に深く刻まれている。

これからも、消えることはないだろう。

「死者も我々がまったく忘れてしまうまで、本当に死んだのではない」

                ―――ジョージ・エリオット(1819-1880)