ある意味、ストーカーっぽい。

f:id:yukioino:20071015205708j:image

本格的に気温が下がってきて、猫の腹がうすら寒い。すれたところはもう毛が生えないんだろうか。

ブクオフを呼ぶために本を下ろしてこなければ。

ブクマ機能は便利だとわかっていても、なぜか使う気になれない理由を考えていた。

ネットをはじめたときから、オンラインで知り合ってオフを含めて行き来するようになった人々の日記を読むのが日課になった。本人の感じ、趣味、好みや方向性を知っているという前提のもと、そのひとがつづった文章を読むのは楽しかった。感覚としては友達が語る話や愚痴を聴くのと変わらない。作家やクリエイターの公開日記を読むときも、かれらの本や作品から遠く隔たった感じはしなくて、すんなり読むことができた。

あれから十年経った今も、書き手ありきで日記やブログを読むので、各エントリよりも書いている本人たちへの興味が先立つ。~が好きな/~に詳しいid:~さんの記事だから読む、というのがとても多い。初めは何かの検索のついでにひっかかってきたところだったとしても、ずっと読んでいると、自分の感覚と合うか合わないかなんとなくつかめてきて、気に入るとストーカーのように毎日通うようになる。アンテナに入れていなくても、そういうところはたくさんある。

言葉のえらびかた、文体の印象と記された情報を取り入れて、雪だるまを作るようにして見えない書き手のウェブ的似姿(『ラギッド・ガール』みたいだな)を脳裡に描くのも習慣になっている。もちろんウェブでリアルのすべて、感情のすべてを書く人は居ないが、掲載する情報の取捨選択時にも書き手の感覚のものさしが反映されているから、それはそれで有用な雪だるま情報になるのだ。

そういうやりかたに慣れているから、初見のエントリを拾ってブクマをつけて、コメントを残したいとは思わない。よほど気になったら自分のところでさくっとエントリを立ててしまう。ブクマを集めるホッテントリの捉えかたも新聞記事や流行りの雑誌に目を通すのと似て、ふんふんと読んだ後、すっきり見送ってしまうことが多い。テレビをザッピングしているときに見かけたドラマやバラエティの音声みたいな感じ。

というわけで自分の場合は、いつも読んでいるひとたちのエントリすべてを頭の中にブクマしているようなものらしい。なんだ、じつはブクマしまくり? ブクマ集ともなれば、いってしまえば片思いのしるし、プライベートな本棚のようなものになるだろう。見られるのは恥ずかしいな(笑)