女性の愚痴の話。

TBいただいたid:gginc氏とのやりとりで考えたこと。

女性の愚痴は、いかにも中身がないように聞こえるだろう(笑)

しかし愚痴を口に出来る相手というのは限られている。

誰にでも愚痴るわけではない。

緊密な間柄の女子だけで構成される聖なる円卓会議(いわゆるガールズトーク)の時、あるいは気を許した異性を相手に、愚痴=本音を口にする、この行為そのものが意味を持っている。メールなど、ワンクッションを置いた手段ではなく、面と向かって(電話などを使うこともあるが、特に大切な話のときは直接対話が尊ばれる)、相手の反応/共鳴を得るために秘密を打ち明けるのだ。

聞く側は、愚痴の発話者が自分に寄せる信頼を感じ、ある満足をもってその本音を受け取り、我が身と引き比べてみる。自分ならどうするか、どう感じるか。多くの場合、解決策は求められていないから、相槌と共鳴、反論と追認などの波をゆるやかに繰り返しながら、やがて話題は次に移っていく。

次の会合のときに、また同じようにして同じ愚痴が始まるかもしれない。が、既にその愚痴が内包する苦痛や苦労は、その発話者の属性/背景の一部として認められているため、むりやり解決策をつきつけようとする者はいない。また/まだ云ってるよと周囲にいわれつつ、それは儀式化していく。

愚痴に対しては、適当な間隔で相槌を打ち(聴いているという態度表明)、わかりやすい言葉で相手の立場や悲しみ苦しみを認めてやると、相手は心の平穏を回復することができる。こういうときに、焦って対策カードを手当たりしだい投げつけると相手はドン引き。しかし、有益な助言を求めているような前ふりで始まる愚痴も多いので、なかなか判別つけがたいかも…。

まるで怨霊鎮めの儀式のようだが、基本、おんなじだと思う(逃