クトゥルーと同期の桜。

『The Atrocity Archives』のあとがきで、ストロスは友人から「Hey, have you ever heard of Delta Green?」と聞かれたことを明かしている。彼の作品と基本的に似た設定を持つRPGサプリメント「デルタ・グリーン」とはどんなものなのだろうと思っていたら、gginc氏がまとめられたクトゥルフ・オンリー・コンベンション記事のリンク先で、きっちりした説明を見つけることが出来た。

デルタグリーン概説

http://www7a.biglobe.ne.jp/~byakhee/essay/delta_green.html

なるほど、似ている(笑)*1

学生時代に周囲がやっていたのがこんなテーブルトークだったら喜んで参加していたかもしれない。

さて、話がすこし細かくなるが、gginc氏は上記エントリで、ご自分がプレイした旧帝国軍医に関して「帝大の後輩である外交官と仲が良く、フランクに話をする」という設定にしたと書かれていた。「本当は、そんな関係は公務員としてはダメダメかもしれない」とも。

はたして、それはダメダメだろうか?

大学在学中に培われた交友関係は、学閥というにはあまりに小規模で、外部への影響力は無いかもしれないが、社会に出たときには確実に力を発揮するものだ。利害関係をもたず、同じ時代と場所で醸成された空気を吸いながら寄り集まって暮らした者同士は、数々の経験と時間の流れを経て、価値観を同じくしていることが多い。その連帯感は、互いが社会に出たあとも容易に消えたり壊れたりすることはないどころか、郷愁の念に支えられてかえって強まっていくものだ。*2

実際、自分が出た大学の卒業生組織の例祭にたまに足を運ぶと、年配者ほど愛校心が高まっている様子が見て取れるし(大変ほほえましいので彼らの盛り上がりを見るのは楽しみのひとつである)、旧帝大出身の知人(男性)は、学部の同期はみな庁や省がつくところ、または一流企業で、若手幹部として働いているので、同期会に行くと多岐に渡る業界の裏話が聞けて面白いと云っていた。何かの折には、それが強力なコネクションとなるだろう。それぞれ属する職場と立場が違うことで、カバーする範囲も大きくなるし、自分の立場をかるがると超える鳥瞰的な視野を得ることもできる。そのつながりの有用性に気づけば、それをないがしろにする人は少ないだろう。

長々と書いたが、以上のような理由で、その設定は十分「あり」ではなかろうかと愚考する次第。

大変わかりやすく、面白いセッションレポートにコメントとして寄せるには、なんとも瑣末な話なのでここに書いたのだが、くどくど長くなってしまって、自分でも引いた。失敬。

*1:ストロスも昔はTRPGをやっていたものの、この二十年ほどは遠ざかっているそうで、だからデルタグリーンのことは何も知らずにThe Atorocity Archivesを書いたと述べている。'Delta Green' has such a markedly American feel that "The Atorocity Archives" is right off the map.との由。

*2:フィクション中の例ではあるが、京極夏彦氏の『妖怪小説』シリーズの中心人物三人は「帝大時代の先輩/後輩」「同輩」であり、佐藤御大の『皇国の守護者』後半で新城を支えるのは特志幼年学校時代の同輩たちである。