大森氏によるクラーク追悼

 (略)

 1999年の夏、雑誌の取材で、スリランカコロンボの自宅にクラークを訪ねたことがある。当時、クラークはすでに80歳を超えていたが、お土産の短波ラジオを手渡すと、子供のように目を輝かせて箱からとりだした。取材の間も、50年前の出来事を昨日のことのように語ったかと思えば、「評判の『マトリックス』はもう観たかね?」と急に質問してきたり、クラーク翁の話術は自由自在。功なり名遂げた老賢者どころか、好奇心いっぱいの天才中学生という雰囲気だった。

 停滞する宇宙開発に話題を向けると、「アポロ11号のときは、現場で打ち上げを見ていたよ。副大統領のスパイロ・アグニューが『今度は火星に行くぞ!』と叫んでいたのをよく覚えている(笑)」と思い出を語り、「たしかにアポロ以来、有人宇宙探査はずいぶん長い空白期間ができた。でもわたしは楽観している。自分で想像していたよりはるかにたくさん、すばらしいことが起きるのをこの目で見てきたからね。2020年ころには宇宙ホテルができているかもしれないよ」。

 生涯の夢だと語っていた地球外生命体の発見を待たずにクラークは逝ってしまったが、彼が作品に託した夢は、いまも全世界の人びとを宇宙へ、未来へと誘いつづけている。


読売新聞2008年3月25日(火)朝刊

アーサー・C・クラークを悼む/大森望(翻訳家、SF評論家)