あめのきさき てんのもん

今朝も弁当をつくって送り出した。かたづけをして、なんだか気が抜けてとろとろと居眠りをして、起きたら今日が何曜日かすっかりわからなくなっていた。ああ、忍び寄るボケの影。

土曜日に子供を学校に出すのはこの春が初めてだ。保育園のときは自分が土日休みだったから、それに合わせて休ませていたし、小学校は子供が上がったときには五日制に変わっていた。

むかし、友人たちが通っていた都内の私立女子校が土曜休みで、そのおかげで残り五日間の授業時間が連日六~七時限になっていたのを見ていたので(付属だったから進学校ではなかったはずなのだが)、市内の小中学校が土曜休みになると決まったときは、なにやら大変なことになるんではないかと思った。実際には教科書の中身がすっかり薄くなっていたこともあって、大した混乱はなかったようだが。週五日制も2学期制も、何がいいのかよくわからない。現場ではあの制度を採用して何か改善または軽減されたんだろうか? 高校の先生をやっている友人達はみな十二時間労働で死にそうになっている。相手にするのは虫でいえばまだ三齢~終齢幼虫くらいの年頃だし、大変な仕事だと思う。

自分の学校では、土曜日の四時間目は掃除だった。班で分かれて自教室と、割り当てられている実験室や体育館などの掃除に散った。

クラスのいたずらものたちが廊下の掃除を担当すると大変なことになった。かれらは、自分たちが拭き掃除を終えた廊下の両脇にずらりと列になって座り込んで、タイルの上に飛び石状に雑巾を並べて、きれいにしたばかりの廊下を通りたければその上を飛んで渡れと無体な要求をしてくるのだ。失敗したらセーラー服茶巾絞りの刑だとか、同性だけだと羞恥心も何もない女子校ならではの無法がまかり通っていた。そう、あれはセーラー服を着た蛮族のカースト社会だった。「マリみて」とか、ごきげんようとか、ほんとありえないからw

けれど、校舎のエントランスに立つ白い大理石のマリア様だけはいつも玲瓏として美しかった。足の下に三日月と蛇を踏んでうつむきかげんに佇む彼女は、がさつでかしましい生徒たちを静かに見守っていてくれた。

青い外套をまとって微笑む永遠の御母。葉の色が濃くなり、陽射しが初夏めいてくると、彼女に歌と祈りを捧げる聖母月が近づいてきたなと思う。

のんびりとした掃除の合間にクラスの窓から見下ろしたときのように、今日も、校庭の木々、校舎をとりまく木々の葉は緑にざわめいているのだろうか。

年を重ねれば重ねるほど記憶を通して眺める風景は鮮やかになっていく。

息子もいつか、通い始めたばかりの学校をこうしてなつかしむときが来るのだろう。信徒ではないからロザリオをもったことはないが、天使祝詞ならばまだ唱えることができる。彼が過ごすこれからの六年間が恵み豊かなものになるように、優しい御母にお願いをしておこう。