私的がっかり。

ネットが信頼を増幅しないこともある。これはその一例。以下、あまり読んで楽しくない文章なので隠しておく。

今日は、考えた末に、あるテキストサイトをブックマークから外した。

管理人はセミプロに近い技量を持っているとみえて、書く文は平明で面白かった。しかし当初から、管理人のネットにおける自己の保ち方に、何かすわりの悪さというか、するりと受け入れ難い何かを感じていた。

読みやすい文章の水面下に、読み手を傷つける無邪気さと鈍感さ、悪意の無い身勝手さと開き直りがちらちらと見え隠れするのだ。

書き手にはそんな意図はないだろうから(どちらかというと好意と善意のかたまりのように感じられた)どうしようもないのだが、こういう素朴な地雷にためらいなく反応する鋭さと不寛容性を備えた人間ならば速やかに喧嘩を吹っかけるだろうなと思わされる類の、つまりいかにも炎上しやすそうな、無防備な内容だった。

微かなひっかかりと懸念を覚えながら、それでもテキストに惹かれて読み続けるうちに、当該管理人のところでは過去、実際に何度かもめごとがあって、そのたびに攻撃者が書き込んだ文言をサイトから削除したり、さらにはサイトそのものを捨てて雲隠れして、新しい名前と場所を使って新規スタートを繰り返してきたらしい様子がはっきりと見えはじめた。

ははあ、なるほど、と思った。

このひとはこれからも同じことを繰り返すのだろう。テキストの棘に引っ掛かった攻撃者の尾行を撒き、被害者として古い皮を焼き捨てては新しく甦る鈍感な不死鳥。生まれ変わったと見せかけて、本質は何も変わらない。

たぶんそれが管理人のネット渡りの方法なのだろうから、咎める気はおきなかった。

だが、読み続ける気は失せた。

もともと強制されて読んでいるわけではないのだから、離れたらよいのだ。とても好きな文章だったけれど、楽しんで読むことが出来なくなってしまったから、もう読みに行かない。それだけ。

要約すれば、勝手に好きになって勝手に幻滅したということで、管理人サイドからすれば良い迷惑だろう。だが、ネットをうろつくようになって、長くあちこちを読み続けてきて、これほど劇的にがっかりして読むのをやめたところもない。

だまされたというわけでもなく、ただ肌に合わない。これを当該サイトにコメントで残せば立派な営業妨害だけれど、自分のところで気持ちを整理するためにこうして書き連ねるのならば、かまわないだろう。

ネットでは、行間から透けて見える書き手の姿に共感できないと、安心して心を近づけることはできない。ましてやリアルで会うなんて。なんでもいい、そのひとの真情が伝わる何かが読みたいと思う。口当たりの良い文だけでは足りない。

当たりまえのことかもしれないけれど、忘れないようにここに書いておく。