「着信アリ」の一種。

週末の来客をひかえて、掃除機をかけていた。

出かける仕度を整えた家族がうしろで何か云っているのに気づいた。モーター音で声が聞こえないので掃除機を止めて振り返り、なにかと尋ねた。

「SさんとKさん、今日はH願寺に行くって云ってたわ」

 家族の二十年来の友人であるSさんは、いわゆる後期高齢者と呼ばれる年のご婦人。Kさんは、彼女のお嬢さん(既婚)で私立病院に事務として勤めている。酒豪のS夫人はよく家にも遊びに来るし、Kさんとも旅行や食事をしたことがあったりして、自分ともかかわりが深い。親娘ともとてもハートが温かく、つきあいやすいひとたちだ。

「H願寺って、築地? なんでそんなところにふたりそろって?」

 親孝行なKさんがS夫人をデパートや食事に連れて行った話ならよく聞かされるが、なぜ寺なのか。

「それがね。Kさんが病院で働いてるあいだに、実家から電話がかかってきたのが携帯電話の履歴に残ってたんだって」

「は?」

「Sさんのところに、『お母さん、電話くれた?』ってKさんから電話がかかってきたんだけど、でも、その時間にはSさんは電話してないし、お嫁さんも出かけてて家にはいなかったっていうのよ」

「誰もいない実家からKさんところに電話がかかってきたってこと?」

「そう。たしかに実家の電話番号の履歴が残ってて、でも誰も電話したひとはいないって。

 でね、Kさんが、お母さんに『おばあちゃんがああいうことになって、だから今も成仏してなくって、さみしがってあたしのところに電話してきたような気がするの』っていうんだって」

「うへぇ」

S家に引き取られてきて数年前に亡くなったS夫人の母上に絡む親戚間のいざこざについては自分も耳にしていた。観音様のように柔和で心優しいKさんは、祖母の悲しい境遇に心を痛めて、それはそれは優しく接していたにちがいない。娘ではなく孫娘のところに「連絡」がきたのも、そのためだろうか。

「それで、Kさんが病院オヤスミの日に二人でお寺に行こうっていってたんだけど、それが今日だったのね」

じゃあ時間だからいってくるわ、と家族は出かけていった。

掃除を再開する気も失せて、これを打っている。ついでにカテゴリに「よくわからない話」を追加することにした。

ここでKさんが採用した「成仏していない親族からの訴え」という説明は心情的には非常にうまくあてはまる。昔ながらの日本の精神文化に基づいた現実エラー処理の一例といえる。

だが、そのつごうのいい解釈を剥ぎ取ると残る、「誰もいない家から電話がかかってきて、携帯に履歴が残った」という事実は、どう考えたらいいのだろう。ふだんぜんぜんそっち系に興味や縁がないひとたちの話なので気になる。