夏になれば彼女は。
ひさしぶりに会った旧友から、大陸渡りの話を聞いた。一人娘で小学生になりたてのY嬢は日本人校ではなく、ブリティッシュ・スクールに通うことになるらしい。
友人自身、昔ヨーロッパ方面で暮らしている間はそういう学校に通っていて、小学校の高学年のときにこちらに戻ってきた。英語は話すけれど、帰国子女という語から想像するようなバリバリの海外帰りという印象は与えないタイプだ。今日も、海外で暮らすのはぜんぜん好きじゃないのに、日本に帰ってきてあんなにほっとしたのに、今頃どうしてこういうことになるのかな、と笑っていた。
彼女が帰ってきたばかりの頃だったか。
「ひとのことをjewって呼んで、軽蔑したりしないよね?」と訊かれたことがあった。
もう英語の勉強は始まっていたが、jewの意味は知らなかった。
「jewってなに?」
「ユダヤ人…のことみたい。なんで軽蔑されるんだろう」
彼女が云っているのが、やはり授業で習っている聖書に出てくる人々の名だと理解はしたが、現代世界で彼らがどのような状況に置かれているのかはわからなかった。
「日本では、そんなふうにいわないね」としか答えられなかった。
今なら、あの質問がどんな意味をもっていたのかがわかる。日本で暮らしていると肌身で感じるのは難しいけれど、あちらの社会を縛る一つの原理ではあるかもしれない。
机を並べるクラスメイトの肌の色が違ったり、自己紹介の次には信仰する宗教について訊かれたり、おにぎりを見て「チョコレート?」と聞く友達が居る日常。せっかく海外に暮らすのなら、娘にはそういうところで学ばせてやりたいのだ、と彼女は云った。
「でも、保護者会がちょっとユーウツ。だってぜんぶ英語じゃない?」
いやまあ、それはそうだろうけど。がんばってくださいw