日本語の機能・陰影 どう護る―――水村氏の危機意識。

■読売新聞2008年11月7日朝刊文化面

 作家の水村美苗氏が評論『日本語が亡びるとき――英語の世紀の中で』(筑摩書房)を上梓した。バイリンガルの作家として、英語の公用語化を推進する意図はない。インターネットを追い風に、強まる英語の覇権から「日本語をいかに護るか」を訴えた、憂国の書だと語る。(尾崎真理子)

http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20081107bk01.htm

昨日、読売朝刊に出たこの記事を読んだ。英語と日本語が自在に錯綜する内面をつづる『私小説』の著者であり、両方の言葉を分かつ線の上に立つ彼女の言葉なら耳を傾けてみたいと思った。

とくに、英語への変換をベースにした日本語の変質とそれを助長しかねない機械翻訳については、前からなんとなく危惧を抱いているので、気になる。

何度か引いた自前エントリだが、下に引用しておく。

IT業界では、Tradosなどの翻訳支援ソフトを使用した作業が一般的になっている。しかし、MT(機械翻訳 machine translation)に関しては、その精度の低さから、劣悪な翻訳の代名詞のように扱われてきた。

業界外のひとにはわかりにくいかもしれないが、これらの二つには大変簡単ではっきりとした違いがある。つまり、翻訳時の単語の選定について、作業者=人間が判断するか、ソフトのみに判断をまかせるか、という点である。

翻訳対象としては比較的構造が単純なIT系のドキュメントでさえ、人間が書けば直感的で不確かな表現が頻出する。文法的に正しくないことも多く、融通の利かない機械翻訳ではカバーしきれないほどの「遊び」が含まれる。文法的な正確性よりは、文章の背後にある書き手の文脈を読み取らなくてはいけないこともある。そういう難物を、翻訳エンジンにかませてもとうていビジネスとして通用する訳文にならないのは、ネット上でその手のサービスを使った経験があるひとならば誰でも知っているだろう。あのエンジンの仕組みはよく知らないが、ヨーロッパ言語はともかく、アジアなどの日本語をはじめとするdouble byte言語については、ほとんど使い物にならないというのがこれまでの定評だった。素面の翻訳エンジンよりは、酔っ払った翻訳者のほうがまだマシだ。機械が文法に基づいて文章を整えようとするのに対し、人間の意識はまず脈絡と意味付けを求めるからだ。例えば何ら関係のない単語をつなげてつくる三題噺などは、人間の言語的な特性と能力がフルに活用されているのではなかろうか。幼稚園児でさえ楽しげにやってのけるこの作業が翻訳エンジンにはできない。それがソフトウェアのレベルだと思っていた。

しかしいま、ビジネス分野においてこの不完全なMTの積極的な活用を視野に入れなくてはならない段階にきている。

そういう話をきのう、聞いた。

IT業界の巨人がそちらに食指を動かしている、と書けばおわかりだろうか。MTの利点はなによりその低コスト性(cost-effectiveness:コスト・パフォーマンス性の高さ。アメリカ系企業がすごく好きな単語のひとつではないだろうか)にある。もうすこし翻訳エンジンを進化させて、一次的な翻訳は機械に任せ、必要であれば人間が二次的に調整する。二次調整用の予算がアサインされていなければ、そのMT翻訳がそのまま市場に出回る製品となる。

ビジネスの文脈で見れば、たいへんわかりやすい流れだ。あの市場寡占すれすれの巨大企業がその方法を採用すれば、他社の追随がはじまる。そのうちにそれが、大げさでなく全世界のde facto スタンダードになるだろう。翻訳者は、人間にしかできない作業を補足する管理者としての機能を求められるようになる。

現場では、MT一次翻訳をベースにした作業はすでに始まっている。コストに基づいて提供される言語の品質が決まる時代がすぐそこまで来ているのだ。

自分の仕事にもダイレクトにかかわってくるこの話を聞きながら、考えた。

言葉は時代に応じて変化していくものだが、コスト改革がその変化を助長する動きが出てきたのは、これが初めてではないだろうか。今でも、コストと納期と慣習の関係でもう十分に日本語離れしてしまっているIT系マニュアルの内容と質は、この流れでさらに変わっていくだろう。

いずれ「マニュアル系機械語」のような独特の日本語の亜種が生まれてくるのを目の前で見ることになるのだろうか。なんだか複雑な気分だ。

http://d.hatena.ne.jp/yukioino/20070516#1179321101


コメントとして、元同僚のtさんから、

「何だかピジン・イングリッシュみたいな話ですね。ただ相方向コミュニケーションの便宜性から発生したピジンと違って、ただ垂れ流される言語にこっちが一方向に慣らされるだけというのはヤですねえ…」

というお言葉をいただいた。それに対して、自分は、

「もともと直輸入カタカナが多いIT翻訳ならではの話なんですけど、なんかこうすっきりしなくて。

現行で作業に使われているツールは、十数ワードならOK、でもそれ以上になるとしっちゃかめっちゃかになってしまうシロモノらしいです。で、ここから先は憶測ですが、もしかすると、そっちのアレなレベルに合わせて原文作成という方向に行く可能性も捨てきれないというか。旧人類にはそろそろついていけない速成人造言語の世界に入りつつあるのかも…。」

と返している。マニュアル業界のみならず日本語全体がそういう形で変質・劣化していくかもしれないとしたら、怖い。とにかく水村氏の著書を読んでみることにする。